Documentary of Remaster Tee.
〈リマスター・ティー〉が本物の風格を纏う理由。
〈ジャーナル スタンダード〉が仕掛ける“ヴィンテージTシャツの再録版”こと〈Remaster Tee(リマスター・ティー)〉の第4弾アイテムが、新たにリリースされた。今回フォーカスしたのはアメリカのスポーツコメディ映画『Space Jam』。あらかじめ4回の短期連載と謳い、これまで3回にわたってその奥深い世界に迫ってきた本シリーズだが、ここで一区切り……というわけではなさそうだ。さらなる広がりを見せようとする〈Remaster Tee〉の多角的な魅力を正しく、丁寧に伝えるべく、取材チーム一同は再び仙台へと向かった。
Photo:Daiki Endo
Interview/Text:Nozomu Miura
Lead Text&Edit:Nobuyuki Shigetake
Special Thanks:PILE Inc.
デザイン、パターン、サンプル作成、裁断、縫製、プリント、加工、検品、仕上げ……布が洋服となり、僕らの手元に届くまでには実にさまざまな工程を経ているわけだが、もれなくすべての洋服が平等に経る工程といえば、作り手の想いが注がれることである。この〈Remaster Tee〉は、どんな会社の、どんな人たちが、どんな想いをのせて作ったものなんだろうか。4名に話を伺う。
自分たちなりの“開拓”を続けてきた白鳥剛己/Masaki ShiratoriAZOTH 生産部 営業部長 宮城県栗原市出身。勤続19年。会社立ち上げ当初から現場で生産に携わる。営業に転身後は長年の生産技術や商品知識に、10代の頃から洋服が好きで得た、古着やストリートカルチャー、ロックやクラブなどの音楽への造詣なども加え、商品に深みが出せる提案で多彩なOEMを手掛ける。
勤続、19年。驚いてしまいそうな数字だが、白鳥氏は、いたって平穏なムードを保ったまま、話を続ける。『僕がやっている仕事って、友達になることと似てるんですよね』と語る彼の言葉は、同社の最前線をひた走り続けてきた長き経験からくるのか、なんとも言えぬ沈着さを帯びていた。淡々と、そして、軽々と。そんな彼のキャリア、また、ひいてはAZOTHのあり方について、訊いてみた。AZOTHの歴史を第一線で見つめ、そして、作り上げてきた者としての、声を。
「僕たちAZOTHは、ひとつの会社として法人化した2004年から今に至るまで、いわば「先駆者がいない状態」で自分たちなりの“開拓”を続けてきました。創業当初は、Tシャツにプリントを施すマシンがたったの一台しか無いような環境で、仕事をしていました。なんなら、髪を乾かすためのドライヤーでプリントを乾燥させていたぐらい、ギリギリの状態でしたね(笑)。
この会社にジョインした頃のことを思い出せば、僕自身、幼き頃や学生時代からモノづくりが好きだったのもあり、また、特にファッションを好んでいたことから、自分のやりたいことができるAZOTHのあり方に共感する部分が大いにあったんです。正直なことを言うと、朝からスーツを着て、満員電車に揺られながら苦しい顔で出社するような“サラリーマン”としての自分は、想像すらできなかった。したくなかった、の方が近いかもしれません。とにかく、やりたいことをやりたかった。事実、これまでAZOTHにて働いてきた19年のなかで、面倒だと感じることも山ほどありました。体力的にキツいことも、たくさんあった。でも、今の仕事こそが僕のやりたいことだから、耐えられたし、続けてこられたんです。
好きなこと、やりたいことを仕事にできたからこそ、遊ぶように働けている、というのも大きいですね。私事(わたくしごと)と仕事(しごと)の間に、違いはほとんど無いな、って。いろんなところで遊んで、友達ができて、ゆくゆく、ともに仕事をする。その狭間のグラデーションが、ほとんど無いんです。それが自分にとって、すごくうれしいな、って。
それに加えて、日を追うごとに良くなっていく会社のあり方を間近で見られたことも、すごく良かったですね。今日できなかったことが、同業他社の方々に技術を教えていただいて、明日にはできるようになっていたり。はるか昔はたった一台だったTシャツのプリントマシンが、今や、何十台にもなっていたり。手探りで成長してきたAZOTHのあり方を、プレイヤーとして、最前線で見ることができる。それって、ものすごく嬉しいことじゃないですか。
『AZOTHのいちメンバーとして、俺がこれまでの歴史をまるっとすべて作り上げてきたんだ!』なんて言うとものすごくおこがましいですが(笑)、やはり、ともに働くメンバーのみんなと、同じ景色を望みながら仕事をしていける環境は、何にも代えがたいものだなぁ、と感じます」
営業部長の肩書きを持ちながらも、時には第一線のプレイヤーとして、Tシャツのプリント工程にも携わるという白鳥氏。「うちは特に、プリントも営業活動も決裁も、すべて自らでおこなうような会社。技術の継承もそうですが、今は特に “教えることの難しさ” を感じています」とのこと。ちなみに、本稿とは一切関係ないが、趣味は筋トレ(週4でジムに通っている)。長袖Tシャツからチラリと見える腕がとても屈強そうであった。
シルクスクリーンが、
とにかく大好きだから森藤 玲 / Rei MoritoAZOTH 生産部 プリント職人 宮城県出身。大学在籍時、シルクスクリーンプリントが好きで1人でシルクスクリーンの研究をしていたところ、大学の教授からAZOTHという会社があることを教えてもらい、大学3年時にAZOTHの門を叩く。約1年半のインターンを経て2022年AZOTHに入社。入社2年目の現在は工場にてプリンターとして従事しており、技術向上を目指し毎日さまざまなアイテムにプリントを刷り続けている。
AZOTHのプリンター・森藤氏。弱冠24歳の彼女は、同社のプリント事業を支えるプレイヤーの一人として、日々の業務に精を出している。『いま自分がたとえ死んでしまっても、納得のいくように生きていきたい』と、青臭く泥臭いコメントをあどけない笑顔とともに残しつつ、その熱情あふれるアティチュードと、仕事への向き合い方について、じっくり語ってくれた。熱意と愛、AZOTHの今と未来を支えていくための、大切なエレメントたち。
「わたしがAZOTHで働いているのは、ひとえに、シルクスクリーンが大好きだから。それに尽きますね。思い返せば高校3年生の頃、父に連れられて、宮城県美術館へ行ったことがあったんです。そこには「創作室」と呼ばれる部屋があり、自由にシルクスクリーンを試すことができたんですよ。そこでシルクスクリーンの魅力にどっぷり魅せられたことこそが、いま思えば、わたしのキャリアの始まりだったのだと感じます。
高校卒業後は、東北工業大学に進学したのですが、そこにはシルクスクリーンの機械がある、というのがもっとも大きな理由でした。好きなことじゃないと続けられない性分なので、これさえやっていれば4年間いけるな、なんて思ったり(笑)。誰も使っていない部屋にシルクスクリーンの機械があるのを知ってからは、その部屋をまるで自分の部屋のように、好き勝手に使わせてもらいました。
そもそもわたしは、学生の頃から、イラストを描くのがすごく好きでした。趣味として、ダンスをやっているのですが、たとえばダンスチームのTシャツにあしらうイラストを描いたり。イベントのフライヤーを作ってみたり。そういった、創作活動が好きなんですよね。描きたいものを好きなように描くこと。ただ、イラストそのものを販売しようとは、全然思わなかったんですよ。なぜなら、絵に値段を付けることは、とても難しいから。『この絵は〇〇円です』と、価格を決めることが、できなかったんです。
そこで、一枚のTシャツにしてみよう、と思った。それならば、Tシャツとしての“価格”を決めやすいから。大学在学中は、そういった活動をおこなっていました。こうして思い返せば、今の仕事にぴったりだな、と感じますよね。ちょっとした運命みたいだな、って。
唐突かつ、少々大きな話になってしまうかもしれませんが、わたしは、毎日を悔いなく生きていきたいと思っているんです。いま自分がたとえ死んでしまっても、納得のいくように生きていきたい。それを叶えていくためには、やりたいことだけを、一生懸命やっていくしかないと思っていて。だからこそ、大学在学中も、独学でどんどん学んでいけたんだと思うんです。誰にも頼まれていないのに、ずっとずっとシルクスクリーンをやり続けることができたんですよね。シルクスクリーンは、わたしにとって、ひたすら“好きなもの”です。仕事で辛いことなんて、無いんです。好きだから。ただ、それだけです」
お客さまが求めるものを
作り上げるのが、僕らの仕事伝野亘毅 / Hirotaka DennoAZOTH 生産部 広報主任 宮城県仙台市出身。宮城県に本社を置くアパレルブランド旗艦店の販売員やEC販売管理スタッフを経て、2015年にAZOTHに入社。シルクスクリーン工場での工場作業スタッフから営業職を経て、現在は生産部の広報主任の傍ら、アパレルブランドのOEMや音楽・アニメなどのイベント関連グッズの企画やデザインも行っている。
“デザイン行為”というワードが、彼にはとてもフィットしていると思う。AZOTH 生産部 広報主任・伝野氏である。広報主任として、社内のあり方を見つめ、社外へのアプローチを行なう同氏だが、また一方で、自身のことすらも“他人”であり“自分”でもあるかのような、ふたつの視点で見つめているように思えるのだ。「会社/自分」・「あなた/わたし」の視点を往来しつつ、淡々と業務を続ける彼の、きわめてプライベートな足跡(これまでのファッション体験)を辿ってみた。
「AZOTHに入社する前は、アパレルの販売スタッフとして働いていました。石巻に本社を構える、メンズのストリート系ブランドですね。そのフラッグシップ店舗にて働いているうち、ちょうど30歳を迎えた頃、自らのキャリアについて考えたのですが、将来が少々不安になってしまったんです。『このまま販売の仕事を続けていていいのだろうか……』と考えていたところ、たまたま友人の紹介でAZOTHのことを知りました。特段、プリント技術に興味があったり、洋服づくりに関心があったり、ではなかったんですよ。本当に、たまたまでした。ただ、いざAZOTHでの仕事をスタートしてみた時に、面白いと思える事柄がものすごく多いことに気がついたんです。
たとえば、お客さまとのやりとりにおいて『このプリントはインクジェットでいきましょう』であったり『シルクスクリーンプリントの〇〇版ぐらいがいいですね』であったり、とにかくその頃の自分にとって、知らないことがたくさんあって。『このボディにシルクスクリーンプリントを施すと、なぜこんなふうになってしまうんだろう?』といったような、実務をともなう気づきのようなものも多かったんですよね。販売員としてのキャリア、経験とリンクする部分がたくさんあり、とてもエキサイティングだなぁと感じましたし、それこそが今も仕事を続けられている理由なのかもしれません。今や勤続9年目になりますが、日々フレッシュな気持ちではありますね。
僕自身、仙台市の田舎のほうで生まれ育ったのですが、やっぱりファッションが好きだった、というのも、今の仕事にリンクしていると思います。当時、中学生の頃には、インターネットも無い社会だったので、友人と何人かで集まってはファッション雑誌をみんなで読み、『これ良いよね』『これもカッコいいよな』なんていう具合で、ウダウダ話し合っていました。
仲間のなかでも特にファッション通の友人がどこからか『新作アイテムが仙台で発売される』なんて情報を仕入れてくると、みんな揃って『街(宮城では仙台のことをこう呼ぶのだそう)に行こうぜ!』って仙台に繰り出すんです。当時は裏原系のファッションが流行していましたが、中学生だったこともあり、全然お金もなかったので、お年玉を使っても1枚だけしかTシャツが買えなかったり。しかも、仲間うちで購入するタイミングが一緒なもんだから、友人みんなで集まれば、2,3人が同じ洋服を着ていたりする(笑)。
こうして思い返してみれば、今も、昔と変わらず、洋服が好きです。ただ、当時ほどの憧れは、今や持っていないですね。自分に似合うものがわかったというのもありますし、何より、体型がものすごく変わってしまったから。めちゃくちゃ太りました(笑)。また、若い頃はとにかく“カッコいい”に忠実でしたが、大人になっていくにつれて、どんどん無地の服を好むようになっていったのもあります。プリントがドカン!とあしらわれた服を、少々恥ずかしく感じてしまっていたんですよ。特に、今の仕事を始める前ぐらいまでは。ただ一方、AZOTHで働き始めてからは、かえってプリントモノを着ることに対する抵抗があまり無くなったんですよね。それがとっても面白いなぁ、って。それに仕事を通して、プリントモノって楽しいものでありながら、コミュニケーションツールでもある、ということを一層認識しました。洋服を見る視点も『このプリントの手法はユニークだなぁ』とか、『自分の仕事にも活かせそうだ』とか、そういった目線が自らに加わったような感覚が、なんとなくあります。
今、こうしてAZOTHで働いていく上で、比較的若いプレイヤーと接することも多いのですが、その時にいつも考えるのが“センス”の部分です。正味、洋服のプリントは、いわゆる “ファッションセンス” が無くても可能なんですよね。むしろ、それが邪魔をしてしまうことだって、多分にあり得る。お客さまが求めるものを作り上げるのが、僕らの仕事ですから。自分たちが作りたいものだけを作る仕事ではないんです。お客さまの声や意図をしっかりと汲んだ上で、AZOTHとして、ひとつの成果物である“洋服”を完成させること。それがもっとも大切なのだと感じています。
今回の〈Remaster Tee〉に関しては、特に自分たちが思う“カッコいい服”を考えながら製作してきましたし、AZOTHからさまざまな提案をしてきました。これも、相手(お客さま)を見て、彼や彼女が最適だと思ってくださるような“選択”の結果ですよね。自分が思う“カッコいい”だけでなく、相手の“こうしたい”に寄り添うということ。そして、自分たちAZOTHが考える「こうするともっと素敵かもしれない」を提案していくこと。そのバランスこそが、僕らの仕事における最大の面白みなのかなぁ、と思うんです」
伝野さんの
「捨てられないTシャツ」(1枚目)「ベガルタ(仙台のサッカーチーム)をファッションで盛り上げていこう」と作ったベガルタのオフィシャルグッズTシャツは、PILE佐野さんとともに作ったもの。Letter Boyのペイントでファッション的なエッセンスを表現。
(2枚目)ジョジョといえば、AZOTH。AZOTHといえば、仙台。そんな声がうれしかったJOJO仙台七夕イベントのスタッフTシャツ(非売品)。どの仕事も思い出深いけれど、これは特に「お客さまの熱狂」がすごかった。
(3枚目)友人からの頂き物、4XLのTシャツ。生地の一部から一度色を抜き、そこにプリントで着色を施す「抜染プリント」という凄まじく手間と労力のかかる技術を用いて、縫い目も跨いだ総柄でフロントにもバックにもプリントをしているのがポイント。「着る/着ない」を超越した、アートのような一着。各22,000円
「スペースジャムのヴィンテージTシャツを基に、Tシャツではなく今時期から長く着用できるスウェットで再現。これまでのリマスターTシャツと同様にヴィンテージ風であってヴィンテージでは無いスウェットにするべく、もともとミックスグレーのスウェットをブラックの顔料で製品染めすることで、ムラのある独特の濃いチャコールのボディに染め上げ、さらにダメージ加工を施すことでヴィンテージ感を表現しています。洗濯を繰り返すともうちょっと色が落ち着いてグレーっぽくなっていくのも楽しめるボディです。ボディを製品染めするうえで試行錯誤したのがサイズ感。いろいろなボディで何度もサンプルをしたり洗濯をするなど試行錯誤をして、程よいサイズ感になるよう調整しました。プリント手法は全てインクジェットプリントです。今のインクジェットプリントは本当にすごくて、デザインによっては普段シルクスクリーンプリントを生業にしている私たちでもパッと見ではシルクスクリーンと見間違うようなものもあります。プリント面に触った時にちゃんと樹脂感があり、発色も良いので今回のようなグラデや多色のデザインも原価を抑えながらかなりカッコ良く仕上がっています。(伝野)」ここでもやれるんだぞ、
みたいなことを証明したかった佐野弘之 / Hiroyuki Sano 宮城県仙台市出身。PILE Inc.創業メンバーのひとり。2010年に仙台市内にセレクトショップ・Deliciousを立上げ、近年では大手セレクトショップからプロスポーツチームなどの企画やグラフィックデザインなどを多数手がける。
仲間と一緒だからこそ、いつも対等に、同じ視座を保つということ。そんな趣と信条を、PILE・佐野氏からは、ひしひしと感じさせられる。これまで数多のデザインプロジェクトを手がけてきた同氏が抱く、仕事についての想い。そして、これまで彼が出会ってきた、数々の “仲間たち” について。それは、人の形を取るものもあれば、形なき“心”を共有するものも。また、Tシャツ、VHS、本の形を取るものも。彼の“仲間自慢”を、どうしても訊いてみたいと思ったのだ。
「僕が務めるデザイン会社・PILEは、今回のコラボレーションシリーズ〈Remaster Tee〉のデザイン監修を手がけたのですが、まずここでは、PILEについて簡単な説明を。実際のところ、デザイン全般を手がけたのはAZOTHですし、僕自身が前に立って「俺が俺が」とはあまり言いたくないので……(笑)。
PILEは、“世界一楽しいクリエイティブカンパニー”を目指している、デザイン会社です。2005年、同じ専門学校に通っていた同級生5人で創業し、2009年に会社化したので、今(2023年現在)では会社として14年もの期間が経とうとしています。僕が通っていた仙台デザイン専門学校で出会った5人が「ゆくゆくは絶対にみんなで会社を設立しよう」と約束し、それぞれが別の仕事の経験を経て、また出会った形です。
PILEの理念である“世界一楽しいクリエイティブカンパニー”について話すと、やはり、好きなことを仕事にしている状態こそが一番良いな、って。もちろん“好き”だけじゃ仕事にならないかもしれないけれど、それを突き詰めていった先にこそ、本来の意味での“楽しい”が生まれてくるのだと信じていて。好きなことに対して、精一杯努力し、楽しく実りある仕事をおこなっていく。それは、AZOTHのみなさんが話していたこととも合致する考えだなぁ、と思うんです。だからこそ、今回のコラボレーションがとても円滑に進んでいったのにも、心の底から納得できるんですよね。好きなことだからこそ、思いっきり努力できる。それがゆくゆく、日を増すごとに楽しいものになっていく。そんなふうに思います。
最新のトレンドを盲目的に追いかけるのでもなく、古いものをひたすら注力的に集めるのでもなく、PILEがその時々に感じる「ちょうど良いバランス」を体現するセレクトショップ・Delicoius。ちなみに店名の『Delicious(デリシャス)』は、当初、耳馴染みの良い言葉を選んだだけだったのだとか。本取材を終えた頃、ローカルであろういつもの面々がコーヒーを飲みながら談笑していた。良い意味で力が入りすぎていないような、そこはかとないニューヨークっぽさというか、そういうものを感じてしまうシーンであった。
僕自身のことについて話せば、やっぱり欠かせないのが、ストリートカルチャーに対する憧れや体験ですかね。そもそも、中学校・高校・専門と、ずっとずっとファッションが好きだったのもあって。中学3年の頃に仲が良かった友達のお兄ちゃんが、裏原系のカルチャーをとてもよく好む人だったんですが、とにかくその弟(僕の友人)が、モテたんですよ。おさがりを着て、めちゃくちゃモテてた(笑)。そういう邪(よこしま)な気持ちも少々ありつつ、僕も徐々に彼と仲良くなって、一緒にクラブなんかにも遊びに行くようになり。ストリート系の服をよく着るようになっていったのですが、とある日、〈Supreme(シュプリーム)〉に出会ったんです。そこからですね、思いっきり傾倒していったのは。「めちゃくちゃカッコいいじゃん……!」って。
そこから、特にヒップホップだったりグラフィティだったり、そういったストリートのカルチャーにどんどん触れていったんです。強く影響を受け、高校3年生になった頃には、デザインを仕事にしてみたいと思うようになって。デザインの専門学校に通い、先ほどお話した5人の仲間と会社を設立した、という運びですね。さまざま端折った部分も多いですが、そういった感じの流れでした。
無理矢理に話を今回のコラボレーションに繋げる訳じゃないけれど、やっぱり、仲間とともに動くというのは、僕自身にとって大切なことなんだと思います。今ではとても気が知れている仲間・AZOTHに出会ったのは、白鳥君と知り合ったことがきっかけだったのですが、当時はただただクラブで遊んでいただけなんですよね。そこで意気投合して、彼が仕事にしてくれた。たったひとつの出会いが、今では、とても強固な繋がりになったんです。
仮にここが東京ならば、きっと、そうなりやすいんだろうな、って。ひとつのイメージだけど、それは確かにあるはず。何かを始めるのに、東京はとても恵まれた環境だと思うんです。クリエイティブなアイディアを形にする、なんていうのは特に。一方、仙台はどうか。全然そうならないんですよ。“何かを生み出す”という行為が、とても難しい地だと感じています。だからこそ、特に若い頃は『仙台でもできるんだよ!』というのを証明したい、そんな心がとても強くありましたね。『ローカルで凄い方が、すげぇだろ』って。
それで言うと、やっぱり、東京にいる人たちと働く時にも、対等でいたいな、って思うんです。もちろん今回のような仕事について、光栄だとは感じているし、〈ジャーナル スタンダード〉の栗原さんと高山さんをはじめ、ベイクルーズのみなさんにはとてもお世話になっているけれど。そうだからと言って、へりくだるような真似はしたくない。そんなつもりは一切ありません。これまで十数年にもわたって一緒に仕事をしてきて、僕らのことを評価してくれているからこそ。
だからこそ自分たちの仕事に誇りを持ち続けていられる、というのもありますよね。カッコ悪いことはできないな、と思います。これまでも、そして、これからも。これまでの作品たちも、また、詳しくは話せないけれど、次回作も、です。楽しみにしていてください」
佐野さんの
「捨てられないTシャツ」と
自身のルーツ(上)ニューヨークのスニーカーショップ『DQM』によるTシャツ。仲間内でスニーカーショップをオープンする、という流れが顕著だった2000年代初頭の代表的アイテム。そのマインドは、Deliciousにも受け継がれている。
(左)ラリー・クラークがニューヨークのストリートキッズたちの生き様を描いたドキュメンタリー『KIDS』。言わずと知れたニューヨークのスケートチーム『ZOO YORK』による映像作品『MIX TAPE』も添えて。ストリートカルチャーの登竜門と言っても過言ではない2作。
(右)東北の地をレプリゼントするさまざまなローカルプレイヤーたちを各号の表紙に据えつつ、ストリートのさまざまな事柄を真摯にまとめていった、PILE制作のフリーマガジン『Common』。