モデル武智志穂さんの不妊治療と妊娠・出産までの道のり。《EMILY WEEK journal》
モデル武智志穂さんの不妊治療と妊娠・出産までの道のり。日々の何気ない幸せを抱きしめて #emilyweek_journal
妊娠・出産、母になること...。
一括りに「幸せなこと」だと捉えられがちですが、そのかたちは人それぞれ。かつてない悦びに満たされる人もいれば、人生の大きな変化に不安や戸惑いを感じる人もいるでしょう。
今回、ご登場いただくモデルの武智志穂さんは、2年間の不妊治療を経て2020年に双子を出産。現在は沖縄で子育てをしながら、仕事を続けています。妊娠までの長い道のりを振り返ると、「決してハッピーなことばかりではなかった」と語る武智さん。
なぜ不妊治療を選択したのか、妊娠・出産、母になるまでの経緯や、治療を通じて考えたこと、かけがえのない子どもたちの存在について、お話してくださいました。
▶︎ 子どもを授かるということが、こんなに大変だなんて
――武智さんは、もともと「子どもがほしい」という思いがあったのですか?
これまで「子どもがほしい」とは、全然考えていなかったんです。というのも、旅行や音楽など、自分の趣味が何より楽しかったということ、あとは年子の妹が子育てをしているのを間近で見ていたので、可愛いだけじゃない大変さを知っていたから。でも、32歳で今の主人と出会って、「この人となら、楽しく子育てできるかもしれない」と思いました。30歳をすぎて、一通り楽しいこともやってきたし、次の新しい世界を見てみたいという想いも湧いてきて、妊活をスタートすることにしました。
――不妊治療を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
最初は自己流でタイミング法を試していたのですが、まったく授かる気配がなくて...。実は、私は24歳のときに「多嚢胞性卵巣症候群」だとわかり、医師からは「将来こどもを授かりにくいかもしれない」と言われていました。生理不順や、生理痛にも悩んでいたので、ピルを飲んだり、ビタミンを積極的に摂ったりと、できることはしつつ、この病気についてはそこまで深刻には考えていなかったんですね。それが、「本当に授かれないのかもしれない」と、このとき初めて自分の病気の厄介さに気がついたんです。
――武智さんは2年間不妊治療を続けられたそうですが、治療はどのようなステップを踏んだのでしょうか?
不妊治療専門のクリニックに通い始め、指導を受けながらのタイミング法のあとは、4回の人工授精を試みて、その後、体外受精へと移りました。1回目の体外受精で妊娠したものの、流産してしまったときは、「なんで?」という悔しい気持ちでいっぱいで、本当に心身ボロボロになりました。
正直、子どもを授かることが、こんなに大変だなんて思っていませんでした。不妊治療をするまでは、どんなことも努力すれば必ず報われると思っていたんです。そうじゃなかったことなんてなかったから。でも、どんなに頑張っても報われないことがあるんだということに打ちのめされ、その頃は、真っ暗なトンネルの中を手探りで歩いているような状況でした。
▶︎ 仕事と治療を両立できたのは、つらいとき、つらいと言える環境があったから
――長い治療に流産、心が折れそうになることもあったのではないかと思います。どのように自分自身をケアしていましたか?
それまでは気にもとめなかったのに、不妊治療をするようになってからは、街を歩くだけでも、お腹の大きい女性や、赤ちゃんを連れてるご夫婦に目が行くようになって。そうすると、「なんで自分は上手くいかないんだろう」と、どうしてもネガティブな方へ気持ちが引きずられてしまうんですよね。人を妬んだり、羨んだり、そんな自分が嫌になったりもして。これまで自分は、気持ちの切り替えが上手なタイプだと思ってきたのに、全然切り替えられない。それが一番つらかったかもしれません。
生理が来てリセットしまったときには、一旦治療のことは置いておいて、普段我慢しているアイスやお酒など、好きなものを思い切り食べたり、行ってみたかったレストランに行ってみたり、旅行へ行ったり、夜遅くまで友達と遊んだり…自分が楽しめることをしてストレスを発散していました。私の場合は、まわりにも不妊治療をしている友人がいたので、話を聞いてもらえたことも心強かったですね。
――モデルという職業柄、常に見られる立場でもあったかと思いますが、治療と仕事をどのように両立していたのでしょうか?
治療中は、薬のせいで浮腫んでしまったり、体調が悪くて外に出ていける状態じゃなかったり、ということもありました。しんどい気持ちを受け止め、ケアしてくれたマネージャーさんにはとても感謝しています。それから夫にもとても支えられました。車で送り迎えしてくれたり、買い物をしてくれたり、ご飯を作ってくれたり。周囲の手厚いサポートがあったこと、つらいときつらいと言える環境があったことは、仕事も続ける上で、すごく大きかったと思います。
私はこのお仕事が大好きなので、辞めるという選択肢は一切なかったですし、子どもができたとしても、ずっと続けていきたいという思いがありました。まわりもそれをわかってくれていたので、支えてくれたんですよね。
▶ ︎妊娠6ヶ月で不妊治療を公表。綱渡りのような気持ちで過ごしたマタニティ期
――双子を妊娠しているとわかったときは、どんな気持ちでしたか?
4回目の体外受精の判定日、陽性と聞いたときは、すごく嬉しくて…。ただ、一気に二つの命を抱えることになって、その責任の重さに不安も感じました。口にはしなかったけれど、恐怖もあったと思います。ハッピーな気持ちだけではなかったですね。
――日々大きくなるお腹や変化していく体とどのような気持ちで向き合っていましたか?
妊娠中は、この幸せが突然に壊れてしまうかもしれないという不安や、またあのつらい治療に引き返すのは嫌だという気持ち、出産が無事に終わるその日まで安心できないという想いが常にありました。日々綱渡りしているみたいな感覚でしたね。この時期、大きくなっていくお腹を写真で記録していたのですが、また1週間をどうにか乗り越えた「お腹の子にも私にもおめでとう」という気持ちで、1枚1枚撮影していました。
――子どもを授かったことに加え、不妊治療についてもInstagramで公表されましたが、どんな気持ちだったのでしょうか?
自分の経験が誰かの役に立つようなことがあれば力になりたい、という想いで公表したのが妊娠6ヶ月のときでした。それまでは、不妊治療のことを発信してしまうと、どうしても気持ちがネガティブになってしまいそうだったし、自分が苦労しているところや、悲しい姿を見せられる強さはありませんでした。流産のことがあったので、どうなるかわからないという不安もあったし、最後まで隠し通すことも考えたのですが、いま思うと、ファンのみんなからの励ましの声がほしかったのかもしれません。
公表して驚いたのが、自分と同じような経験をしている人がこんなにもたくさんいるのだということ。コメント上で自身の経験を打ち明けてくれる人がいたり、それに対する応援の声があったり、コメント欄を見ながら、「ああ、発信して良かったんだ」とホッとしたし、すごく勇気をもらいました。
同じように不妊治療をしていても、不妊の原因や治療ステップは人それぞれなので、こうすればいいという正解がない。だからもがき苦しむし、孤独にもなりがちだと思うんです。だから、こんなふうに不安や抱えている気持ちを吐き出せて、つながれる場所をつくれたことは、すごくうれしかったですね。
▶︎ 夢だった沖縄へ移住。子どもが生まれて、より自由になれた
――武智さんにとって、出産はどんな経験でしたか?
出産は37週での計画帝王切開での分娩だったのですが、正直、楽ちんなのかなと思っていたんです。でも、全然そんなことなかった(笑)。分娩の後、子宮が収縮することで起こる後陣痛というものがあるのですが、双子の場合はそれが酷くて。私は痛みで3日間眠ることもできなくて、ホルモンバランスも崩れまくりだし、もうボロボロの状態でした。ただ、我が子にやっと会えたときの喜びは、何にも変え難いものでしたね。慣れない抱っこをしながら、「こういう顔なんだ」「こんなに柔らかいんだ」と、一つひとつに感動しましたし、今まで感じたことのないような、儚さや尊さを感じました。
――子どもが生まれて、生活や自分自身にどのような変化を感じますか?
今まで「失うのが怖い存在」というものが私にはなかったんです。でも、子どもができて初めて自分の命より大切なものができて、今までとは比べ物にならないくらい強くなれた気がします。スーパーマンみたいに(笑)。それに、より自由になれたような気もするんです。
子どもができるまでは、子育てって、たくさん制限ができて、大変なことばかりだと思っていたんですよね。もちろん、子どもが突然熱を出してしまって仕事をリスケしなきゃいけないとか、物理的に制限されることはありますが、それ以上に彼らが背中を押してくれたからこそ、実現できたことがたくさんあるんです。沖縄移住もそう。大好きな沖縄に住んでみたいというのは、私の長年の夢だったのですが、それを叶えられたのは二人がいたから。自分のためだけに頑張れることって、限りがあるけれど、子どもたちがいると、想像以上のパワーを出せる気がします。
▶︎ 一人で抱え込まず、自分が納得できることを大切にして
――武智さんが不妊治療の経験を通じて考えたことや、感じたことがあれば教えてください。
私は、十代から仕事を始め、二十歳で家を出て生活してきたんですね。だから、全部自分で切り拓いてきたんだというような勘違いがあって。でも、子どもを授かって、いま、親が自分にしてきてくれたことを改めて実感しています。親だけじゃなく、夫や周りで支えてくれた人たちにもです。それから、子どもたちと過ごすこの何気ない日常が、当たり前のことじゃないと気づかせてくれたのも、不妊治療の経験があったから。私にとっては、大切なことに気づくきっかけだったと思っています。
――女性が心地よく生きていくために、周囲の理解やサポートが本当に大切ですよね。
日本では、まだまだ不妊治療の理解が進んでいないと感じます。親や職場に不妊治療のことを言いづらかったり、そのために仕事を辞めざるを得なくなってしまう人もいる。当事者だけではなく、男性や子どもを望まない方など、できるだけ多くの人に、不妊治療のことを知ってもらいたい、そんな想いで私も自分の経験を発信しています。結局のところ、子どもや子育てに優しい社会は、すべての人たちに優しく、生きやすい社会なんじゃないかな。少しでも、つらい想いをする方が減っていくといいなと思っています。
――最後に、これから子どもがほしいと考えている人や、不妊治療中の人へ、武智さんからメッセージをお願いします。
ここまでやればゴールというのがないから、不妊治療はつらいんですよね。先の見えないなかで、落ち込むことがあったり、気持ちを切り替えられなかったり、人と自分を比べて自己嫌悪に陥ってしまったり、そんなことがたくさんあると思います。そういうとき、無理して元気になろう、立ち直ろうとするんじゃなく、落ちるとこまで落ちて泣いたり、治療から離れてみるのも一つの方法だと思います。それから、友達とか親とか、看護師さんでもいいから、つらさを吐き出してほしいんです。ただ、いくら身近な存在であっても、治療の大変さを理解してもらえないことも。私もそうでしたが、ふいに親からもらった言葉に傷ついたこともありました。とにかく自分を追い詰めないでほしい。ときには自分を甘やかせる、自分を大切にできる環境をキープできたらいいですよね。
いま十分頑張っている人に「頑張れ」なんて言えないし、私もつらいときに同じように声をかけてもらっても、気休めにしかならないことのほうが多かったと思うんですよね。だから、ただ本当に、一人で抱え込まず、でも自分が納得のいくまで、治療を続けられたらいいなと思うんです。このメッセージも、受け取れるときに受け取ってもらえたらうれしいです。
武智 志穂(たけち しほ)
ファッション誌、TV、CM、ラジオなどモデル発のタレントとして10年以上のキャリアを持つ。現在はファッションだけでなく、美容・グルメ・インテリア・アウトドア・音楽・旅行などのライフスタイルをSNSで発信し、同世代の女性から高い支持を集めている。2020年7月に双子の男児を出産し、現在は沖縄在住。(Instagram: shiho_takechi)
<for MOMシリーズ 発売開始>
産前と産後の体の大きな変化や、授乳期をサポートする、EMILY WEEKのマタニティシリーズが発売中。人と環境にやさしいbioRe COTTON生地を使用し優しい肌当たりと着心地の良さはそのままに、前回よりも普段のお洋服にも合わせやすく、デザイン性と機能性をアップデート。さらに長い期間、ご利用いただきやすくなりました。様々な変化にストレスの多い産前産後にfor MOMのアンダーウェアが、ささやかな癒しになれば嬉しいです。
<女性のひと月のサイクルに寄り添う、定番アンダーウェア>
staff credit
編集・文 / 秦レンナ
デザイン / 中森陽子
企画・ディレクション / 柿沼あき子
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#EMILYWEEK_JOURNAL では、さまざまなゲストをお迎えし「女性が心地よく生きるには?」について考えます。
日々を頑張るすべての女性の日常を、心地よいリズムに。
EMILY WEEK(エミリーウィーク)
Harmony in Rhythm for Women's daily life.
"日常を、心地よいリズムに。"
EMILY WEEKは、女性の体の変化とそれぞれの選択を、心地よいアイテムでサポートします。