アーティスト、ミュージシャン、フォトグラファー、デザイナー……。表現を生業としている彼らの装いは、作品のエキセントリックさに反して意外にも、なんの取り留めもないことが多い(例外はいるが)。 しかし、彼らが生み出した表現物との関連性に思いを巡らせてみると、ずいぶんと見え方が変わってくる。
この連載では、画家の小磯竜也さんとともに「表現者と装いの関係」を、彼らの人生や作品と照らし合わせながら考察していく。ライフスタイルとファッションの強固な結びつきは今や言うまでもないことだが、彼らはそれを、いち早く体現していたのかもしれない。 道端から色を拾い、絵を描き、服を着る。第3回は、ジュディ・シカゴと彼女の装いについて。
絵・文 小磯竜也
編集 重竹伸之ジュディ・シカゴ Judy Chicago(1938 - )
美術家アメリカのフェミニスト美術家、教育者、作家。歴史や文化に置ける女性の役割や位置付けを問いかける大規模なコラボレーションによる作品で知られる。1970年代初期のアメリカにおけるフェミニスト美術運動の中心的人物である。「フェミニスト・アート」という言葉を作り出したと言われる。
小磯竜也 Tatsuya Koiso(1989 - )
画家 / アートディレクター / グラフィックデザイナー群馬県館林市生まれ、東京都在住。東京藝術大学絵画科油画専攻を卒業後、フリーランスの絵描き兼デザイナーとして活動を始める。2015年に中山泰(元Work Shop MU!!)の事務所を訪問。 面白い本などを見せてもらい刺激を受ける。 Yogee New Wavesや藤原さくらなど、ミュージシャンのジャケットアート、ポスター、グッズイラストなどを手がける。
花もつ女
僕が通っていた高校には普通科、スポーツ科、芸術科があり、僕は芸術科の美術コースに在籍していた。芸術科は美術と音楽の生徒合わせて40人ほどで、そのうち男は4人だけ。その後浪人、大学と環境が変わってもまわりには女性が多かったし、遊んだり、一緒に展覧会を企画したりする友人も女性ばかりだった、のになぜ美大の教授は男性ばかりなのか。なぜコンテストの審査員に女性が少ないのか。学生だった当時はなんとなく変だな〜としか思わなかった。
さらに、自分が知っている美術史上の作家名を挙げていくと見事に男性がずらーっと並ぶ。自分のまわりは女性ばかりなのに、歴史に女性がいない。
5年ほど前、僕がこのことについて勉強しなきゃと焦った時に妻が「アート&フェミニズム (※1)」という大型本を貸してくれて、僕はひたすら"自分が知らなかったことの多さ"を知った。
そしてさらにフェミニズムアートの重要人物であるジュディ・シカゴのことをもっと知りたいと思った時、妻の本棚にあったシカゴの自伝「花もつ女 (※2)」を読んだ。僕はこの本が、妻の棚より先に自分の棚になかったことを恥ずかしいと思った。とにかくそれは男性が読むべき本だった。
ジュディ・シカゴの人生を僕の口からおこがましく解説するのは気が引けすぎるので、とにかく「花もつ女」を読んでもらいたいのだが、今回はシカゴの本を読んでいて思い出された服装にまつわる自分の記憶を書きたい。
※1「アート&フェミニズム」
著:Peggy Phelan, Helena Reckitt
訳:鈴木奈々
発行:PHAIDON (2005年)※2「花もつ女」
著:Judy Chicago
訳:小池一子
発行:パルコ出版局 (1980年)©Tatsuya Koiso
髪を伸ばしたいわけじゃない
切りたくないだけだ僕が通っていた高校では当時、"最高な"頭髪服装検査を定期開催していた。
体育館に卒業式の花道がごとく全教員が並び、その中を生徒たちが一歩一歩進む。そして品定めされるように、ピアスが開いていないか、ベルトや靴下が規定内のものか、眉毛を整えていないか(整えさせろ)などをチェックされるのだ。チェックする側の教員たちの中にも本心でやってない人がいることは、高校生ながらに理解した。そして歩みを進め頭髪検査ゾーンにたどり着くと、ラスボスの強面男性教員たちに取り囲まれ、前髪や襟足の長さを入念にチェックされる。
気に入らないのはルールが曖昧なことだ。超短髪なのに「耳にちょっと毛がかかってるね、はい再検査。」と言われる生徒もいれば、少し長めの髪でも「お前は、まぁオッケー。笑」と仲良さげに背中を叩かれて通過できる生徒もいる。
そんなへんてこ環境下にも関わらず、クラス担任だった美術のO先生は定年間近の男性教員だが、ロン毛だった。若い頃ビートルズに憧れて髪を伸ばしてからなんとなく切れなくなったらしい。(1話でラルフローレンの真っ白いシャツを着て油絵を描いていた先生だ)
で、ある時O先生が「明日は頭髪服装検査があるそうです。けど、検査があるからといって髪を切るなんてことはしなくていいです。」と言った。この言葉は今でも僕の宝物だ。
翌日僕は全体的に伸びた髪で頭髪検査に臨み、当たり前のように「再検査までに髪を切るように!」と強面教員に指示された。そして再検査の日に髪を切らずに行って、「切りました。」と言った。これが不思議なもんで、再検査会場にはすでに頭髪検査引っかかり済みの猛者(眉毛をぜんぶ剃ってる人や、髪を染めてトゲトゲさせたりしてる人など)が集うため、シンプルに髪が少し伸びちゃってるだけの自分は相対的に"まとも"に見える。2002年頃から通知表の成績のつけ方には絶対評価が導入されたはずだが、この空間では相対評価が生きてる。それを利用して髪を1mmも切らずに再検査を通過できることも何度かあったが、普通に「お前なんも変わってねえじゃねーか!」とバレて通過できないこともあった。
再検査を通過できず再々検査にもまた髪を切らずに行ったら、再々検査は自分1人だったことがある。絶対評価である。そしてスポーツ科の若い男性教員に職員室前の廊下で、前髪を切られた。この時の屈辱的な気持ちは今でも鮮明に覚えているが、ハサミで僕の前髪を切る瞬間の気まずそうな男性教員の顔も忘れることができない。
©Tatsuya Koiso
論破しない議論を
僕は自分が、この男性社会の中であまりにも当たり前のように男だったために、性別や年齢や立場によって受ける理不尽にとても鈍感だった。
小学生のときに「なんで男なのに赤い服着てるの?」と同級生に言われたことも、言ってきたその子と自分との個人間での問題としか思えなかった。
2019年に、職場でのヒールやパンプス着用のルールについて問題提起した石川優実さんの#KuToo運動でも「履きたい人もいる。」「足が痛いとか根性無いだけ。」「ルールが嫌ならSNSじゃなく直接会社に言え。」という書き込みを山ほど見たが、それらは社会全体の構造的な問題を個人の問題(器用さや、我慢強さや、順応力など)にすり替えて矮小化する発言だ。
こういった構造の問題についてはシカゴも著書の中で繰り返し語っている。
©Tatsuya Koiso
CHICAGO
ジュディ・シカゴは1970年にカリフォルニア州立大学フラトン校での個展を宣伝する広告をアートフォーラム誌に掲載した。シカゴはそこで、それまで名乗っていた夫の名字であるゲロウィッツから「シカゴ」への改名を宣言する。(名前の由来はジュディがシカゴ生まれだから)
"ジュディ・ゲロウィッツはここに男性の社会支配をとおして彼女に課せられたすべての名前を捨て、自由に彼女自身の名、ジュディ・シカゴを選ぶ。"(「花もつ女」より引用)
さらにシカゴは、モハメド・アリが実際に練習で使っていたボクシングリングの上で自らのポートレートを撮影した。黒字で大きく「JUDY CHICAGO」とプリントされたスウェットを着て。
シカゴは言葉に潜む家父長制とも闘っていた。衣服の表面に浮かび上がった言葉と、魂の奥深くが強く結びついている。
『Judy Chicago with Jack Glenn and Alona Hamilton-Cooke(1970)』シカゴのボクシングリングでの写真を見てから、衣服にプリントされる言葉がその時の自分にとって最も普遍的かつ鮮度の高い言葉じゃなきゃ嫌になり、最近は家にあったネルシャツやフリースの右襟に「No」左襟に「War」と手刷りするのにハマっている。
担当編集より
BAYCREW'Sのアイテムでシカゴになるなら
「何かメッセージ性のあるプリントものを」と小磯さんからリクエストを頂きました。「WALL」と「PEAK」。普遍的な単語ですが、胸元でデカデカと主張されると、何か特別な意味があるのでは、と深読みをしてしまいます。
ところで、ジュディ・シカゴは自身の新たな名前に、生誕の地であるシカゴを選んでいます。そこにどこかレペゼン文化というか、ヒップホップ然としたアティチュードを感じてしまうのは僕だけでしょうか?(重竹)