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  3. 道端のクローゼット 〜表現者と装いの関係〜 01:デイヴィッド・ホックニー
  • アーティスト、ミュージシャン、フォトグラファー、デザイナー……。表現を生業としている彼らの装いは、作品のエキセントリックさに反して意外にも、なんの取り留めもないことが多い(例外はいるが)。しかし、彼らが生み出した表現物との関連性に思いを巡らせてみると、ずいぶんと見え方が変わってくる。

    この連載では、画家の小磯竜也さんとともに「表現者と装いの関係」を、彼らの人生や作品と照らし合わせながら考察していく。ライフスタイルとファッションの強固な結びつきは今や言うまでもないことだが、彼らはそれを、いち早く体現していたのかもしれない。道端から色を拾い、絵を描き、服を着る。第1回は、デイヴィッド・ホックニーと彼の装いについて。

    絵・文 小磯竜也
    編集 重竹伸之

    デイヴィッド・ホックニー David Hockney
    画家

    1937年イギリスブラッドフォード生まれ、1963年よりロサンゼルス在住。スイミングプールやシャワールームでの日常風景、親しい人々、私的な出来事を主題に描く。1960年代のイギリスのポップ・アートムーブメントに最も貢献した人物で、最も影響力のある20世紀のイギリスの画家の1人とみなされている。

    小磯竜也 Tatsuya Koiso
    画家 / アートディレクター / グラフィックデザイナー

    1989年群馬県館林市生まれ、東京都在住。東京藝術大学絵画科油画専攻を卒業後、フリーランスの絵描き兼デザイナーとして活動を始める。2015年に中山泰(元Work Shop MU!!)の事務所を訪問。面白い本などを見せてもらい刺激を受ける。 Yogee New Wavesや藤原さくらなど、ミュージシャンのジャケットアート、ポスター、グッズイラストなどを手がける。

    作業服は着たくない(まえがきにかえて)

    15年ほど前、美大を目指して浪人していた18歳の僕は頑なに作業服なんて着たくないと思っていた。

    油絵の具は乾きが遅く知らぬ間に服についちゃったりするので美大受験生は作業服(ツナギなど)を着て制作するのが一般的だったが、僕は家を出たままの格好で予備校に着いてすぐ絵を描き、そのままの格好でスッと帰ることに謎の美学を感じていた。

    たぶん、高校時代の美術のO先生がラルフローレンの真っ白なシャツに一滴の絵の具も飛ばさずに油絵を描いていたのに憧れたんだろう。その先生は「上手い人は汚しません」と言っていた。

    浪人生の僕はツナギを着ないくせに着々と服を汚していき、“ジーンズに絵の具がついている”くらいならまだしも、絵の具の蓄積で“なんか変な色のズボン”になってきたので観念して、試験間際の冬にツナギを買った。ツナギを着るようになり私服を汚すことはなくなったが、日常生活から作品制作の時間が切り離されてしまった感じがした。

    何の話だという前置きになってしまったが、アーティストとファッション、というテーマはいろんな方々が研究している題材だと思うので、僕は僕で、あくまで絵を描く立場から“表現者と装いの関係”について考えてみたい。

    ©︎Tatsuya Koiso

    道端に落ちている色を拾う

    イギリスを(いや世界を)代表するアーティスト、デイヴィッド・ホックニー。僕が彼の絵を知ったのは浪人生の(ちょうど観念してツナギを着た)頃で、ツナギを着なくなった今でも「好きなアーティストは?」と聞かれたら「ホックニー!」と即答するほど大好きだ。

    彼の着る服は彼の描く絵とリンクしている。目に映る景色の中で何を見ているかは人によって異なるが、それには自分を取り巻く環境や今までの体験からの影響が少なからずあるだろう。

    たとえば僕の場合は、海のない土地で育ったためにヤシの木を見るとなぜか(海の気配を感じるのか?)興奮する。僕の絵に度々ヤシの木が出てくるのはたぶんそういう理由だし、アロハシャツも好きだ(冬も着る)。また、小学生のとき同級生に「なんで男なのに赤いトレーナー着てるの〜」と言われ、男が赤い服着ちゃわりぃのかよ! と思った体験から今でも赤い服に思い入れがある。

    ©︎Tatsuya Koiso
    この絵は2016年に、地元の風景をホックニーになりきって描いた作品。見た人に「西海岸て感じ!」と言われるが群馬に海はない。どこまでも続く田んぼの中に民家があるだけ。

    それからメキシコの建築家、ルイス・バラガン(1902-1988)は青やピンクなど色彩豊かな建築を多く残しているが、なんとなくでカラフルにしちゃってるわけではなく、メキシコの澄んだ青空やブーゲンビリアの花のピンクなど、その土地の印象的な自然物から選んだ色を建築作品の壁や柱などに使用している。

    ホックニーの絵画作品もまさに彼が見た景色から選ばれた色や形で構成されているわけで、イギリスからロサンゼルスに活動拠点を移して以降、彼の作品の色彩は変化したし、プールというモチーフも多く登場するようになった。

    ホックニーの絵画はいつまで見ていても目が飽きないのだが、彼の絵画表現の豊かさを考えれば、左右で違う色の靴下を履くのもストライプのシャツにボーダーのネクタイを合わせるのもまったく自然なことに思える。ホックニーはプールの絵をたくさん描いているが、フラットな表現で静かに描かれた水面に有機的な動きのある絵の具のタッチで水しぶきを重ねた代表作『A Bigger Splash (1967)』には、どれだけ目を楽しませてもらったかわからない。

    しかしあくまでホックニーは目に見える景色の中から色や形を選んでいる。自分というフィルターを通して景色から絵画を抽出している。こんな視点を持つ人が、左右で違う色の靴下を履くのを躊躇するはずがない。

    とにかく目が楽しいことが大切なんだ。もし僕が左右で違う色の靴下を履いていて、ホックニーが「靴下間違ってるよ」と言ってきたらショック。

    ©︎Tatsuya Koiso

    線のたのしさ

    ホックニーの作品は点や線の表現がとても豊かで、特に線に対しては尋常じゃないこだわりを感じる。

    『Self Portrait with Blue Guitar(1977)』の赤い線、『Lawn Sprinkler(1967)』の細い線で描かれた芝生、最高! ちなみにホックニーは1971年に初来日した際、日本画家の福田平八郎の代表作『漣(1932)』(水面の波の揺らぎを徹底的に線で捉えた最高な作品)を見たようで、その後のホックニーの『Paper Pools(1978)』シリーズでは福田平八郎の影響? ともとれる多種多様な線描による実験的な水面の表現が見られる。

    ホックニーがいろんな形でストライプを身につけていたのも、絵を描く感覚で自分の体に線の楽しさを取り入れてたのかな〜なんて思ったり。

    ホックニーのズボン絵の具ついてるじゃん!

    ホックニー本人が作品と一緒に写った『Self Portrait(1984)』を見て、ホックニーのズボン、絵の具ついてるじゃん! と思ったことがある。

    それまでの僕は高校時代の美術の先生が言った「上手い人は汚しません」という言葉に捉われていた。汚れてもいい作業服をあえて着ず、汚したくない服を汚さないまま作業することに憧れていた僕は、服にちょっとの絵の具がついただけでこの世の終わりくらい落ち込んでいたものだが、そのホックニーの写真を見て考えが変わった。ちょっとくらいなら汚れてもいいんだ! 汚さないように気を付けていてもふとした瞬間についちゃった汚れはむしろ自然体でシブい(と自分に言い聞かせる)。

    今日もいろんな人が、いろんな服を着て何かをしている。仕事したり、遊んだり、何かに打ち込んだり。その瞬間の痕跡が汚れや傷として衣服に刻まれるのは、そんなに悪いことじゃないなぁと思った。服は体を隠すけど心を隠せない。服を着ることは、その人の体験を身に纏うことだから。

    いま再現するならこんな感じです

    シャツにニットタイを巻き、色をソックスで拾う。あるいは拾わずに、さらに散らす。ファッションの教科書があれば載っていそうなオーセンティックなスタイルは、柄選びとカラーリングと小物次第で面白いくらい、ストレンジに昇華される。

    3色のストライプで構成されるEDIFICEのシャツは、上質なTHOMAS MASON(そういえばTHOMAS MASONもホックニーと同じく、ルーツはイギリス。今はイタリアですが)の生地を用いつつもバギーサイズなところが今っぽい。アイウェアやソックスなんかはもう、緻密に計算することなく、チャチャっと選んじゃいましょう。多分、ホックニーもそうしています。(重竹)