GB by BABA meets Fumiya Fujii.
Tシャツになった藤井フミヤ。対談、馬場圭介。
スタイリストの馬場圭介が手がける<GB by BABA>、略して<GB(ジービー)>の第2弾アイテムは、歌手の藤井フミヤをフィーチャー。チェッカーズを解散し、ソロ活動をスタートした1990年代の写真を用いた4種のフォトTシャツがラインナップされている。この特別なプロダクトのローンチに際し<ジャーナル スタンダード>では独自に、インタビューを敢行した。
30年来の仲であり、互いを“遊び仲間”と認め合う2人の放談に見る、在りし日の東京の風景。
Photo_Daiki Endo
Interview&Text_Nobuyuki Shigetake「今日行ける?」が一番いい。
ー まず、お二人の出会いから聞かせてください。
馬場圭介(以下、馬場):出会い? 全然覚えてないなぁ。
藤井フミヤ(以下、藤井):あなた、どこで聞かれても覚えてないって言うじゃない(笑)。たしかそれはスタイリング仕事ではなかったけど、最初に衣装を担当してもらったのはチェッカーズの頃だったと思う。でも、初対面はクラブだよね。
馬場:ああ、そうだ。芝浦のGOLDだったな。1989年、90年くらいかな。
藤井:そのくらいの頃だね。GOLDにはもうとにかく、毎週のように行ってた。
馬場:ケータイもSNSも無いような時代だったから「GOLD行けば誰かいるだろ」つって、実際に行ったらだいたい誰かしら友達がいるっていう(笑)。
ー 仕事仲間というよりは、先に普通にお友達になっていたと。
藤井:うん、そうですね。当時のGOLDにはスタイリストとかデザイナー、フォトグラファーとか、いわゆるクリエイターだったり、あとはアパレルショップのオーナーとか、いろんな人たちが入り乱れていて、馬場ちゃん含め、あそこでいろんな人たちと知り合いました。ほんと、社交場って感じで。
馬場:社交場だったね。
藤井:気が付いたらシャンパンが開いていて周ってくるんだけど、なぜか誰もお金払ったことなんてないからね(笑)。多分、払いたい人が勝手に払ってたんだろうけど。
馬場:良い時代でしたよ(笑)。
ー その後、お仕事でご一緒することになると思うのですが、最初のお仕事は?
藤井:一番古い記憶は、チェッカーズが解散しますよってときに出した新聞広告。たしか、ダブルのストライプのスーツで、赤茶っぽいやつだったような……。
馬場:そうだそうだ、ペイントしたやつだね。あの日、たしか撮影が午前11時からだったんだけど、俺、10:30までGOLDにいたんだよ(笑)。
ー それは恐ろしい話ですね。
藤井:ひどいよね(笑)。でも、あの頃はそういうこともよくあって、朝まで飲んでそのまま紅白(歌合戦)のリハーサル、みたいなね(笑)。今は絶対にできない。寝ないと無理だもん。
馬場:俺も今はもう全然無理だよ。でも、あの頃は若かったからか、平気だったな。
ー ここまで聞く限り、お仕事の関係というよりは、だいぶプライベートな関係という印象です。
馬場:お仕事はときどきって感じだね。30代の頃はシラフで会ったことなんかほとんど無かったし、昔は仕事の打ち合わせだとかで集まっても5分で終わっちゃったりしてな。
藤井:なんなら来なかったときもあるじゃない(笑)。
ー 話が早かったのは、やっぱり遊び仲間で、好きな物事を共有できていたから?
馬場:うん。そうだと思う。あとはお互い九州出身だから。似たところがあるんだよ。つっても、飲みの場で集まってもくだらない話しかしてなかったけどな。
藤井:ほんと、ここじゃ話せないようなくだらない話ばっかりですよ(笑)。でも、俺もロンドンのカルチャーが好きだったし、馬場ちゃんは初めて会った頃から今と同じスキンヘッドに黒縁メガネでロンドンのファッションだったから。すごく自然と仲良くなったんです。馬場ちゃんとは知り合って35年くらいになるけど、10年間くらい、酔ったら毎回全裸になる時期があったよね。裸にみんなで落書きするっていう。
馬場:どこでも全裸になってた。よく捕まらなかったなって思う(笑)。深夜に男5人、全員全裸で並木橋から恵比寿のCASBAに向かったこともあったけど、それでも捕まらなかったからね。良い時代だよ。
ー 今回作ったTシャツも、そういった飲みの場で生まれた話なんですか?
馬場:それくらい軽いノリのもんだよ。ただ、フミヤも2023年の9月でデビュー40周年だから、ちょうどいいよなって思って。
藤井:たしかにタイミングは良かったんですけど、「どんなのやりたいの?」って馬場ちゃんに聞いたら、フォトTシャツを作りたいって言うもんだから、「そんなもん売れるわけないでしょ!」って(笑)。ただ、若い頃の写真を使いたいって話だったから「ああ、それだったら、まあいいかもね」と。今でもツアーTシャツだったりで多いときには年間10枚以上のTシャツを作っていますが、自分の顔写真はこれまでもほとんど使ってこなかったから、新鮮ではありますね。
ー ちなみに絵柄の選定は?
ジャーナル スタンダード 商品企画 高山:今回は<ジャーナル スタンダード>からも「1994年のフミヤさんのツアーTシャツを復刻させてほしい」と要望を出させてもらいました。
1994年に敢行された全国ツアー『FFF』でマーチとして販売されたTシャツを再現したこちらは、ポニーキャニオンから発売された4枚目のシングル『エンジェル』のジャケットで使用された写真を使用。フォトグラファーは田島一成氏。この絵柄はJOURNAL STANDARDのみの限定販売。
馬場:これね。すっごいオシャレな格好してるじゃん。
藤井:ほんとだね。つむじからつま先まで着飾っちゃって。洋服は全身<UNDERCOVER(アンダーカバー)>です。シューズだけデビューしてすぐの<JUNYA WATANABE COMME des GARCONS MAN(ジュンヤワタナベコムデギャルソンマン) >。
ー こちらは? スタイリングが気になります。
平安建都1200年記念イベントとして、1994年に平安神宮で行われたライブのヴィジュアルを使用。こちらもフォトグラファーは田島一成氏。
藤井:これも見えているものはすべて<アンダーカバー>ですね。ソロ最初のツアーの写真だと思いますよ。
馬場:ポップでいいよね。
ー お次、こちらは? すごい場所ですね。
1998年に雑誌に掲載された写真を使用。フォトグラファーはロックカメラマンの草分けとして数多くのアーティストのステージ写真を手掛け、2001年に発売されたフミヤさんの写真集『Flight F』の撮影も担当した三浦憲治氏。
藤井:これは、大阪城ホールだったかな。着ているレザーのシャツは私物の<COMME des GARÇONS HOMME PLUS(コム デ ギャルソン オム プリュス)>ですね。
ー では今日、馬場さんが着ているTシャツは?
1995年に雑誌に掲載されたモノクロ写真を使用。こちらもフォトグラファーは三浦憲治氏。
馬場:これは俺がデザインしたんだけど、CDのジャケットみたいで良いでしょ。
ー こうやって仕上がったモノを見て、いかがですか?
馬場:俺はけっこう良いと思うんだけどな。どう?
藤井:良いとは思うけど、売れるか売れないかは俺には分からないな(笑)。
馬場:まあ、ジャーナルさんが売ってくれますから(笑)。
藤井:願わくば、若い子が面白がって着てくれたら、嬉しいですね。
馬場:うん、当時を知らない若い子にこそ着てほしい。
ー ところで、この当時は<アンダーカバー>の洋服を着ることが多かったんですね。
藤井:そうですね。チェッカーズを解散する2、3年前ぐらいにジョニオ(編集注:<アンダーカバー>のデザイナーである高橋盾)と知り合ったんです。 そのきっかけが、テリー伊藤さんがプロデューサーをしていた『鎌倉恋愛委員会』というテレビ東京の番組に出ていたんですけど、そのときについてくれてたスタイリストさんが<MILK(ミルク)>のデザイナーの大川ひとみさんで、大川さんまだ学生だったジョニオをよく現場に連れてきていたんです。
馬場:結局、ほとんどジョニオがスタイリングしてたんだよな(笑)。
藤井:なんならヘアもやってくれてたよ(笑)。一回、ツンツン頭にされたこともある。そういうふうにして出会ってすぐに仲良くなって、チェッカーズを解散してソロデビューする頃にはジョニオも自分のブランドをやり始めていたから、いろいろとタイミングが重なって、当時は全身<アンダーカバー>で人前に出ることが多かったですね。まだNIGOと2人で小さいお店(編集注:原宿のNOWHERE)をやってた頃だよね。
ー それが93、94年あたりのことですね。さらに前の話になるんですが、藤井さんにとってのファッションの原体験とは、どんなものでしたか?
藤井:不思議と洋服は子どもの頃からずっと好きだったんだよね。小学6年生くらいからかな。中学生の頃に<VAN(ヴァン)>とか、アイビーファッションが流行って、高校生の頃に<CREAM SODA(クリームソーダ)>、あとは古着も流行っていましたね。それから、17歳〜18歳くらいでDCブランドが流行って。
馬場:<BIGI(ビギ)>とかだよね。まあ『傷だらけの天使』の時代だよ(笑)。
藤井:そうそう。でも、上京してすぐの頃は古着ばっかり着ていました。赤富士やサンタモニカ、DEPTによく通っていましたね。それからチェッカーズとしてデビューしてからは<45rpm(現・45R)>の益山さん(=益山航士45rpm設立者)が気にかけてくれていて「いつでもお店遊び来ていいし、好きなやつ着ていいよ」と言ってくれていたから、チェッカーズは上から下まで全身<45rpm>でした。
ー 今はどういうものを着ると落ち着きますか?
藤井:相変わらず、やっぱり友達のブランドかな。普段着は<NEIGHBORHOOD(ネイバーフッド)>や<WTAPS(ダブルタップス)>などを着ることが多いです。ただ、この年齢になると似合わないものも増えてきて、好きなブランドでもそのシーズンのコレクションによってはひとつも着れそうなものがない、みたいなこともありますよ(笑)。
馬場:まあ、フミヤは保守的ですから(笑)。
藤井:そりゃ保守的にもなるよ(笑)。宮下くんのブランド(<タカヒロミヤシタザソロイスト>)とか、すっごい派手なときがあって、「今シーズンは買わないでおくか…」みたいな(笑)。とはいえ、あまりにもシンプルなものだと「もうこういうの何着も持ってるしな…」ってなりますし、だんだんと洋服を買うことも減ってきてるんですよね。
馬場:似たもんばっかり集まっちゃうからね。
藤井:馬場ちゃんも革ジャンとかはもう買わないでしょ?
馬場:新しく買うことはないけど、家にあるやつは冬になったらたまに着るよ。でも、やっぱり重たいなって思う(笑)。
藤井:俺も着ないのに革ジャンばっかり何着もある。
馬場:あんまり捨てたりしないの?
藤井:定期的に友達とかに「好きなの持ってっていいよ」とかやったりするけど、それでも全然減らないんだよね。それこそ、ソロデビューしたばかりの頃に、<アンダーカバー>でワンアンドオンリー(一点モノ)の衣装を作ってくれてて、何着も保管してたんだけど、もう着ないといっても捨てるわけにはいかないし、人にあげるわけにもいかない。だから最近、ジョニオに返したんです(笑)。本人は「この頃の服、僕の手元にも全然なかったんですよ」ってすっごく喜んでましたけどね。
馬場:返したんだ!? それ、新しいなぁ(笑)。
ー ちなみに、いろいろ聞きたいことが多すぎて、こんなの作ってきたんですが。引いてもらっていいですか?
馬場:クジ引き? お前はまた余計なことをして……
藤井:なんかラジオ番組みたいだね。(クジを引く)…「最近見た映画」。Netflixとかでいろいろ見てるけど、タイトルが思い出せないな……シーナ&ザ・ロケッツのドキュメンタリーはすごく良かったし、泣けた。あまりにも鮎川さんがピュアすぎて……。鮎川さん、久留米出身なんだよね。
馬場:あ、そうなんだ? 久留米出身、多いね。
藤井:大先輩だよ。俺、アマチュアの頃に前座やったことあるんだよね。
馬場:俺も鮎川さんとは何度か会ったけど、「おう、大久保」「いえ、馬場です」ってやりとりを何度もやったな(笑)。そんなに似てないけどなぁ。(編集注:大久保=馬場さんの師匠、スタイリストの大久保篤志氏)
藤井:シナロケってすっごいお洒落だったけど、スタイリストとかいたのかな?
馬場:いやぁ、どうなんだろう。聞いたことないな。
ー 馬場さんは何か映画は観ましたか?
馬場:デヴィッド・ボウイのドキュメンタリーは観たな。あの人、絵も上手なんだよね。センスが良くて、器用なんだろうな〜。
藤井:馬場ちゃんにとってデヴィッド・ボウイって、憧れの存在だった?
馬場:いやあ、グラムはそんなにハマらなかったんだよね。特に嫌いではなかったけどさ。
藤井:確かに、グラムのファッションは真似しにくいもんね。
馬場:化粧してね。
ー では次のクジ、馬場さん引いてみましょう。
馬場:(ゴソゴソ…)「アイデアが湧き出る瞬間」。俺の場合、デスクで考えても何も出てこない。歩いてたり、移動してるときにフッと浮かぶことが多いかな。
藤井:原宿とか歩いていると変わったファッションしている子がいたりして、たまに行くとけっこう面白いよね。
馬場:うん、勉強になるよね。
藤井:こないだ渋谷を車で走ってたとき、「この子はCATSにでも出るのか?!」ってくらい、ネコみたいなファッションの子がいてさ(笑)。すごい存在感で、車から降りて写真撮りたいなって思った。ああいうファッションの子が街に溢れていたら、もっと面白いんだけどね。
馬場:今でもたまーに面白いファッションしてる若い子もいるけど、昔はもっといっぱいいたもんね。
藤井:藤原ヒロシがDJやるときなんかはそのクラブがある街に面白いファッションした子がいっぱいいたりしてね。雑誌から出てきました、みたいな子が、ほんとそこらじゅうにいたんですよ。
ー では、次のクジにいきましょう。
馬場:まだやんのか?
ー これで最後です。
藤井:(ゴソゴソ…)「最近やめたこと」。深夜の2時、3時まで飲むのはもうやめたね。馬場ちゃんはたまに朝までいくでしょ?
馬場:たまにね。
藤井:昔からそうだけど、アパレルの人たちってすごい長い時間飲むよね。タフな人が多いんでしょうけど。「本当に早死にするからやめて」って、年齢が近い友だちには言ってる。
馬場:もう“早”死にではないけどなぁ(笑)。
商品企画 高山:最近のアパレルの子たちは、昔ほどバカみたいに飲む子も少なくなってるんですよ。
馬場:そもそもお酒をあんまり飲まないって聞くね。
藤井:いろんなコミュニケーションツールがあるってのも理由のひとつかもね。出かけなくてもスマホがあれば大抵のことは知れるわけだしさ。俺たちが毎日のように集まって遊んでたのって、情報収集みたいなところもあったわけじゃん。
馬場:ほんと、そうだね。クラブとかバーは情報交換の場だった。
藤井:今みたいにインターネットもなかったから、人と会って面白いものを教えてもらったり、教えたり。会って話をする場が必要だったんだよね。そういう意味では藤原ヒロシはみんなにとっての“Google”だった(笑)。いつ会ってもありとあらゆる最新情報を知っていて、すごくアンテナが高いというか。
ー ちなみに今日、お2人はどれくらいぶりにお会いしてるんですか?
藤井:3週間ぶりくらい?
馬場:うん、それくらいかな。何人かで飲みに行ったんだよね。
藤井:「今日、仕事どんな感じ? そろそろメシでも行く?」みたいなね。
馬場:そうそう。俺らは1週間後とか1ヶ月後とか、そういう先々の約束が苦手だからさ。「今日行ける?」が一番いいんだよね。
(R) 藤井フミヤ / 歌手1962年、福岡県生まれ。1983年にチェッカーズのボーカルとしてデビュー。1993年に『TRUE LOVE』をリリースし、ソロアーティストとして活動を開始する。2023年9月から2024年5月まで、全国47都道府県で『FUIMIYA FUJII 40th Anniversary Tour 2023-2024』を開催する。
(L)馬場圭介 / スタイリスト1958年、熊本県生まれ。1980年代に渡英。帰国後、東京でスタイリストの大久保篤志氏に師事し、独立。自身のルーツでもあるUKスタイルを軸にしたコーディネートで、雑誌、ミュージシャン、俳優、ブランドのカタログなどにおいて幅広く活躍している。2022年より、コラボレーションに特化した自身のブランド<GB by BABA>を始動。
※展開店舗はJOURNAL STANDARDの表参道MENS店、大阪ルクア店、福岡パルコ店、二子玉川店、大宮ルミネ店および、ベイクルーズストア仙台店、ベイクルーズストア名古屋店の計7店舗です。