今年で生誕150周年を迎えたLevi’s®の名作「501®」。
ジーンズの原点であるこのモデルを、「JOURNAL STANDARD」「ÉDIFICE」「JOURNAL STANDARD relume」「417 ÉDIFICE」の4ブランドが別注。
象徴的なストレートシルエットはそのままに、ディテールや加工、サイズ感に手を加え、“いま穿きたい”アイテムへとアップデートしました。
そんな別注アイテムと共に、表現力の幅を披露してくれたのは、俳優の滝藤賢一さん。
写真家・鈴木親さん撮り下ろしのビジュアルと共に、彼の芝居にかける想いについて迫りました。今年で生誕150周年を迎えたLevi’s®の名作「501®」。ジーンズの原点であるこのモデルを、「JOURNAL STANDARD」「ÉDIFICE」「JOURNAL STANDARD relume」「417 ÉDIFICE」の4ブランドが別注。象徴的なストレートシルエットはそのままに、ディテールや加工、サイズ感に手を加え、“いま穿きたい”アイテムへとアップデートしました。そんな別注アイテムと共に、表現力の幅を披露してくれたのは、俳優の滝藤賢一さん。写真家・鈴木親さん撮り下ろしのビジュアルと共に、彼の芝居にかける想いについて迫りました。
Starring_Kenichi Takito
Photo_Chikashi Suzuki
Styling_Toru Yamazaki
Hair & Make Up_Haruna Yamamoto
Text_Yuichiro Tsuji
Edit_Ryotaro Miyazaki「501®」をかっこよく見せるためにはどうすればいいか。
普段「501®」を穿くことはありますか?
滝藤:めっちゃ高いやつを1本持ってて(笑)、それを穿いてます。
ヴィンテージですか?
滝藤:当時の「XX」です。ぼくがまだ上京したての頃、90年代の終わりくらいでしたけど、当時のファッションアイコンたちがこぞってヴィンテージの「501®」を穿いてて。ぼくも欲しかったんだけど、学生だったし、すごい値段で買えなかったんですよ。だから憧れだったんです。
その後、大人になって買ったということですね。
滝藤:自分は俳優ですけど、雑誌に出させていただいたりとか、ファッションの本も出版させてもらっているので、やっぱり1本は持っておかなきゃならないという勝手な使命感です。
定番だからこそ通らないわけにはいかないという気持ちですか?
滝藤:それを知らずして、ファッション誌に出ていいものかと(笑)。だけど、やっぱりすごく高価だし、毎日穿く勇気がなくて。今回のアイテムのように新品できれいなものをガシガシ穿きたいですよね。
改めて「501®」というアイテムに対して、どんな印象をお持ちなのか教えてください。
滝藤:きれいな服でも、カジュアルな服でも、なんでも合っちゃいますよね。しかも穿けば穿くほど、洗えば洗うほど味が出るでしょう。ぼくが新品で買って、子どもに引き継いで、もしかしたら孫の代まで穿けてしまう。こんなボトムスは他にないんじゃないかと思うんです。
今回はたくさんのコーディネートを披露していただきましたが、多様なスタイリングに馴染んでましたよね。
滝藤:今日はいろいろ遊ばせていただきました。最近はシンプルなコーディネートが好きなんだけど、足して足して、遊びまくっても、しっかりとスタイリングを成立させる力が「501®」にはありますよね。
今回はインディゴとブラックの両色を穿いてもらいましたが、いかがでしたか?
滝藤:普段はブラックが好きなんですよ。だけど、今回はインディゴもいいなと思いましたね。ウエストはジャストサイズで、裾はちょっと短めで。女性もそうだけど、足元のくるぶしあたりに大人の色気がでるような気がするんです。それと、今回のアイテムは本当に清潔感のあるアイテムだなと思いましたね。
撮影中もさまざまなポーズを決めて、フォトグラファーとのセッションを楽しんでいるようでした。
滝藤:高校生の頃にファッション誌を見て、いろんな影響を受けたんです。今度は自分がそれに出ると思うと、やっぱりテンションが上がりますよね。撮られることよりも、写真がずっと残ることになんだかロマンを感じるというか。ぶっきらぼうにただ突っ立っているのもかっこいいんだけど、何十年も経ったときに、誰かがぼくが映った写真を見て「このひと、おもしろいな」と思ってくれたらいいなと。(セルジュ・)ゲンスブールの写真集とかを眺めていると、仕草のひとつ一つがすごくかっこよくて。自分もそういう姿を残せたらと思うんですよ。
俳優としてカメラの前に立つときは役があるわけですよね。今回のようにスチールの撮影の際はどんなことを考えながら役割をこなすのでしょうか?
滝藤:芝居の場合は目的があるから、余計なことを考えずにただそこに向かえばいい。今回の場合はやっぱり「501®」ですよね。これをかっこよく見せるためにはどうすればいいかっていうことを考えながらやっていました。だけど、それをしているうちに「自分も見せたい」ってなっちゃうんですよ(笑)。
自分が培ってきたことを“表現”しなければならない。
俳優として、撮影現場でさまざまな衣装を着ますよね。それによって役がより入ってくる、憑依するような感覚はあるんですか?
滝藤:憑依という感覚はないですね。もちろんそういう役者さんもいらっしゃると思うんですけど、ぼくの場合はそうじゃない。ぼくは自分の芝居を客観的に眺めて、コントロールしている気がします。泣いたり笑ったり、怒ったりしているときも、常にそれを客観視している自分がいるんです。芝居は表現じゃなく、存在だと若い頃言われたことがあるのですが、ぼくは存在することを表現するのだと思ってます。
それはどういうことですか?
滝藤:この前、まったく芝居経験のないスリランカ人の方と一緒にお芝居をしたんですけど、すごくいいんですよ。何も術を知らないから、余計なことを一切せずに目的に向かうことができる。一度でも演技について勉強すると、あんなリアルなことはできないです。だけど、そこに対抗心を燃やしてもしょうがないと思うんです。経験とか、技術とか、培ってきたことを駆使して“表現”しなければならない。
どこか職人のような感覚なんですかね。
滝藤:ぼくの場合、前日にセリフを覚えて、それを現場で話しても、自分自身が納得できないんですよ。セリフに追われてしまうというか。しつこいぐらいやりますね。100本ノックです。意外と真面目でしょ(笑)。ぼくみたいな凡人は、それぐらいやらないとこの厳しい世界では生き残れない。限られた席しか用意されていませんからね。みんながハイエナのように虎視眈々と狙ってるんです。
日々の積み重ねを“表現”するためには、普段の役作りがやはり重要になってくると思うんです。それをする上で大事にしていることはありますか?
滝藤:イメージトレーニングかなぁ。あとは決めないこと。前は結構決めて現場に行ってたんだけど。
イメージトレーニングは具体的にどんな作業になるんですか?
滝藤:長い時間をかけることを大事にしているかもしれません。台本はできる限り早くいただけると嬉しいです。それだけ長く役と関われますからね。原作があればそれを何度も何度も読んで、台本も何回も読むんです。その中でやれることを見つける。植物が好きな役なら、植物について勉強したり。それを日々の生活の中でゆっくりと時間をかけて自分のものにしていくんです。
直前に台本をいただいたとしても、いままでの経験で、卒なくこなすこともできると思うんです。でもそれだと自分に嘘をついているような気がするんですよ。『ひみつのなっちゃん。』という映画作品で、はじめてドラァグクイーンの役を演じたんですけど。そのときは何ヶ月も前から女性のような喋り方や仕草を重ねていって、撮影のときにそれが自然にできるよう、自分の嘘に気付かないところまで徹底してやってみたいんです。なんというか、なじませるような感覚ですかね。
技術が高くなればなるほど、誤魔化しができてしまうということですよね。
滝藤:それが悪いということではないんですが、自分がそれでいいかどうかということだと思うんです。これは役者の世界に限った話ではなくて、どんなことでも同じだと思いますけどね。
だけど、ご自身でそれをやるのはイヤなわけですよね。
滝藤:いやいや、ずっとそれでやってきたんです(笑)。何年も休みなくたくさんの作品に出させていただきましたから。それはそれで勉強になったし、自分の糧になりました。それを経て、ひとつの作品と時間をかけて向き合いたいと、いまの自分は思うんです。また変わるかもしれませんが(笑)。だからいろんな経験をしてきたことが、ぼくにとっては良かったのかなと思いますね。
俳優にしか感じ得ない感情だったり、瞬間がある。
役作りに時間をかけて、それを現場で表現するフェーズになったら、今度はどうするんですか?
滝藤:現場はぼくを助けてくれるというか、ぼくの役を膨らませてくれる方ばかりです。家で1人でセリフを覚え準備しているときは、自分の視点からしかその役が見えていないと思うんです。スタイリストさんに衣装を着せてもらい、ヘアメイクさんにメイクしてもらっていると、自分が用意したものにどんどん肉付けされていく気がするんです。彼らの存在はぼくにとってすごく大きいです。
それで現場に入ると舞台があって、すべてが整っている状況なので、ここでセリフが出てきませんっていうのはありえないわけですよ。そのプレッシャーといつも戦っているんですけど、それを跳ね除けるには、やっぱり準備が大事になってくるんです。
先ほど役作りの段階で「決めないこと」と仰っていました。それは現場の空気に合わせたりとか、共演の役者さんとの掛け合いのために、余白を残すような感覚なんですか?
滝藤:そうですね。たとえば台本に「号泣する」ってひと言書いてあるとするじゃないですか。そこを無責任になるというか、共演者の方に委ねるんです。シチュエーションや相手の役者さんに泣かせてもらう。深い呼吸をしてリラックスし、相手役に集中。もう丸投げですよ。号泣できなかったら相手のせいぐらいの気持ちでやってます(笑)
そこに演技というセッションのおもしろさがありそうですね。
滝藤:俳優にしか感じ得ない感情だったり、瞬間がありますね。そうゆうセッションができたときに、やっててよかったって思いますよ。自分が準備してきたことと現場でのセッション、そこで生まれたものが繋ぎ合わさって作品になる。そんな風に作品が出来上がったら素敵ですよね。
精神的な強さみたいなものも大事なのかもしれない。
今度はドラマで弁護士役を演じるそうですね。専門性のある役柄を演じる機会が増えてきたと思うんですが、それをすることの難しさは感じますか?
滝藤:今回は外国人の在留特別許可を得るために戦う弁護士の役だったんですよ。これまでにたくさんの案件を抱えて、裁判で戦ってきた。彼らは非常に厳しい現状の中で仕事をしているんです。それを一つも逃さず、ドラマの中で演じなければならない難しさはありましたね。
現職の弁護士の方の年輪というか、幹の太さを表現しないといけない。
滝藤:それをするためには自分の努力もそうですが、監督の演出をはじめ、スタッフの皆さんの力、相手役の役者さんの力が必要です。自分ができるであろう最大限の努力はやっぱりやっておきたい。そういうのが一切いらないっていう日がいつかくるかもしれないですね。そのときがきたら表現ではなく、存在で勝負できるのかもしれない。
20年以上の長いキャリアを積まれていても、まだまだ自分を磨こうという姿勢が伝わってきます。
滝藤:自分はまだまだですよ。ベテランなんて言われることがありますが、自分では若造だと思ってますよ。そのギャップに戸惑ったりします。でも、そう思っていただけているのなら“俺まだ若造っす“と逃げないで、その責任は果たしていきたいです。
どうして自分はまだまだだと思うんですか?
滝藤:撮影は何度も何度もやってくれませんから。時間も限られていますし。“なんかうまくいかないから明日にしよう“というわけにはいかない。その瞬間に力を発揮しなければならない。いくら準備していっても、本番で『気持ち』に裏切られることも多々あります。自信満々で望んでも裏切るんですよ『気持ち』は(笑)。そういう恐怖の中で戦っているので、メンタルの強さが必要かもしれないですね。
引き算の芝居、余計なことをしない演技。
これからどうゆう役者さんになりたいですか?
滝藤:これからも変わらず、ひとつひとつ丁寧に積み重ねていきたいです。ひとつの作品に時間をかければかけるほど自分の中で良い結果が出ると思うし、そう信じたいです。
しっかりと環境を整えた上でする滝藤さんの理想の演技というのは、どんな演技ですか?
滝藤:ぼくが理想とするのは、やっぱり引き算かな。そこにいて、喋るだけで成立する芝居。ぼくは仲代達矢さんが主宰する「無名塾」に10年所属していて、そこで引き算の芝居、余計なことをしない演技っていうのを教わったので。ただそこにいて喋る。それじゃないかなって思うんです。
自然体にいい演技をするということでしょうか。
滝藤:どれだけリラックスして、普段の自分でいられるかっていうことかもしれないですね。そして、いかに役の顔になれるか。その役の立ち方、喋り方、歩き方をどれだけインストールできるか。それはやっぱり準備ですよね。時間をかければ、それが自然と出てくるようになりますから。
滝藤賢一
1976年愛知県生まれ。舞台を中心に活躍後、映画『クライマーズ・ハイ』(08)で一 躍脚光を浴び、以降数々の映画やドラマに出演。『半沢直樹』で第68回日本放送 映画藝術大賞優秀助演男優賞を受賞。プライベートでは3男1女の父で、令和4年第41回ベスト・ファザー イエローリボン賞を受賞。著書に『服と賢一 滝藤賢一の「私服」着こなし218』(主婦と生活社)がある。6月27日22時(土)~『やさしい猫』 (NHK全5話)が放送中。