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  3. あの人の、ニューノーマルとクラシック。 #01.西野大士(NEAT デザイナー)
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    Classics. あの人の
    ニューノーマルと
    クラシック。

    Name:
    Daishi Nishino
    Occupation:
    NEAT Designer
    Type:
    Interview
    Number:
    01

    “流行”を考える。流れて行くもの。この言葉は、視点の話だと思う。流れ行くものを、ある一点から見つめた際の、視点の話だ。

    本稿では、業界を牽引する洒落者たちに、ニューノーマルとクラシックという2つの視点から、ごく個人的な趣向と嗜好を伺う。あの頃から、変わってきたもの。ずっと変わらないもの。彼や彼女にとっての“不変”と“普遍”について、インタビューをおこなう。

    第1回に登場するのは、パンツブランド・NEATのデザイナーであり、PRエージェンシーである株式会社にしのやの代表もつとめる、西野大士。教員としての経験、ブルックスブラザーズでの経験を経て、“パンツのみを作るブランド”としてのNEATを立ち上げた彼が想う、“不変”と“普遍”、“ニューノーマル”と“クラシック”の概念にせまる。

    Photo_Daiki Endo
    Interview&Text_Nozomu Miura
    Edit_Nobuyuki Shigetake

    西野大士 / NEAT デザイナー、
    にしのやディレクター

    Daishi Nishino / NEAT Designer,NISHINOYA Director
    淡路島出身。ブルックス ブラザーズのプレスを経て独立。2015年にパンツ専業ブランド・NEATを立ち上げる。現在はプレスオフィス「にしのや」の経営も手掛け、国内外20以上のブランドのPR業務も担当。元小学校教師。
    「カッコつけない」を、
    いつまでも続けていたい。

    「変わらないことは、カッコつけないことです。好きなものを作り続けたい。昔はモテたくてオシャレをしていた。つまり矢印が外を向いていたけれど、今は違う。自分が納得できる、カッコいいパンツを作るだけ。いつからか矢印が内側を向いたんですよ」。

    飄々と、軽やかに語りを続ける。西野大士は、ずっとそうだ。どっぷり熱くなったかと思えば、「世の中、カネですから。カネがないと何もできないでしょう」なんて、うそぶいているのか本気なのかわからない(きっと後者であろう)言葉で、個人的な意見をぼんやりと表明する。そんな節がある。

    「兵庫県の淡路島で生まれて、高校、大学と過ごし、最初に就いたのは教員の仕事でした。その頃は毎日ジャージで出勤していたから、基本的に、洋服を着ることだったりオシャレを楽しむことは、休みの日にしかできなかった。休日になれば島を出て神戸、大阪で服を買いまくって。教員の頃は、ずっとそうでしたね。

    僕が最初に服への興味を持ったのは、中学1年生の頃。女の子にモテたくて、身なりに気を使うようになりました。オシャレだと、モテるだろうから(笑)。1995年、ナイキのエアマックス95が登場した年のことです。身なりに気を使い始めると、ヤンキーの同級生たちがなんだかオシャレに見えることに気がついて。 彼らはいつもお兄ちゃんからのお下がりを着ていたようなんだけれど、それこそエアマックスだったりリーボックのポンプフューリーだったり、EVISUのジーンズだったり、そのときに流行していた、なかなか良いものを日常的に身につけていたんです。 兄貴の服を勝手に着てる、その行為自体もかっこよくて。異性を向いた邪な心もあったけれど(笑)、服って面白いな、と思い始めたのはその頃からです」。

    ここで、気になった。彼が、一番はじめに買った服は何なのだろう。彼の人生における“定番”になりうる、最初に手にした“クラシック”なアイテムは、何だったのだろうか。

    「チャンピオンのリバースウィーブか、リーバイスの501だったと思います。僕が中学生だった当時、家から自転車に乗れば数分で着く距離に、サティという名の商業施設があって。 懐かしいなぁ。淡路島にしてはちょっと大きめの、ショッピングモールのようなものですね。そこに、今でいうところのキャシディ(原宿の老舗アメカジショップ)みたいなセレクトショップがあったんですよ。 アメリカンカジュアルのアイテムを置いていたのですが、別にそれは古着でもなく、当時の現行でつくられたもの。アメリカ製のチャンピオンやらコンバースやらが、普通に流通していた時代ですね。 今や高価になっているものが、普通に売られていたんです。そこではじめて手にしたリバースウィーブが、僕の最初のオシャレだったかもなぁ。というのも、ナンバーズという宝くじで、2万円が当たったんですよ(笑)。 すぐに換金して、買いに行ったのを今でも覚えています。

    それで言うとNEATは、“ないものを作ろう”と思ったことがきっかけで始めたのですが、5ポケットのパンツは絶対に作らないんですよね。だって、リーバイスがあるから。良いものが、すでにあるんです。であれば、僕らが作る必要は無い。みなさん良いもの作られてるじゃないですか。だから、正直“作りたいもの”って、無いんですよ。“誰かのために作る”ってことじゃないんです。

    もちろんモノづくりをするときは、商業のことも考えていなくてはならないけど、その上で“作りたいものを作る”という感じですね。自分がカッコいいと思ったものを作って、みんなにも楽しんでもらえたらいいなぁと思います。中学生の頃の僕は、モテたくてカッコつけてたし、それは今思い返しても全然嫌な思い出ではないのですが、現在はまるっきり違いますね。カッコつけたくないんです。“カッコつけない”を、いつまでも続けていたい。そう思っています。

    だからこそ、NEATではいわゆる“良い生地”を使わない、ということをあえてしていたり。もちろん価格の高い生地を使うこともあるし、それによってカッコいいものができることも、往々にしてあります。が、そもそも“良い”って何なんだろう。質の良さ? 見た目のカッコ良さ? 雰囲気? そう考えると、“良い”って、むずかしいんですよね。比較的安い生地では“良い服”を作れないのか、と考えると、決してそうじゃないと思うんです。決めるのはお客さんだから。

    だったらいっそ、“僕が穿きたい”を叶えるブランドでいいんだ、って思う。僕が、等身大な心で、真っ直ぐ愛せるものを作ればいいんだ、って。矢印が内側を向いたんですよ。“for me”になった。その想いを伝えることこそが、僕の仕事。僕は、僕が良いなぁと思うものを、作る。それをお客さんにも“良い”と思ってもらえたら、うれしい。それだけです」。

    痺れた。西野大士氏の心は、いたってシンプルだ。“作りたいものを作る”という真っ直ぐな信念に、真っ直ぐな行動でもって対応している。その心は、2015年の創業当初から7年と半年が経った今でも、きっと少しも変わっていないのだろう。

    「それでいうと、たしかにNEATのパンツは、“不変”の側面が強いかもしれませんね。2型のパンツを5色だけ作ってデビューしたブランドでしたが、今は10以上の型を作っている。それでも、最初に出した2型は、ほとんど形を変えることなく作り続けてきました。小さなマイナーチェンジこそあれ、本当にほとんど変えていないんですよ。それに加えて、先ほど話した“信念”の部分は、ずっと変わらないんですよね」。

    Classic
    チャンピオンのリバースウィーブと
    ブルックスブラザーズのボタンダウンオックスフォードシャツ

    ブランドとしてのNEATが、ずっと変えてこなかったもの。それはデザイナー・西野氏が抱く信念。そして、デビューを飾ったパンツ2型のデザイン。いわばブランドの“クラシック”と呼べるそれらに対して、西野氏本人が個人的に見据え続けてきた“クラシック”とは、何なのか。

    「ファッションに興味を持った“きっかけ”とも呼べる、チャンピオンのリバースウィーブと、教員を辞めたのちに在籍していたブルックスブラザーズのボタンダウンオックスフォードシャツこそ、僕の“クラシック”と呼べるアイテムですね。

     
     

    ことリバースウィーブでいうと、1980年代から90年代にかけての、“目無し”と呼ばれるモデル(編集注:胸にロゴが入ってない無地のリバースウィーブを指す)がとにかく大好きで。ターコイズブルーやイエローなど、ちょっと珍しいカラーのものも持っているんですよ。 今は相当価格が高騰しているみたいですね。ボロボロになってしまっているものやペンキが飛び散っているものなど、好みの幅は結構広いと自負しています。オリンピックの刺繍が施されたものなんかも、すごく素敵ですよね。 僕は基本的に“欲しければ買う”ということを意識していて、とにもかくにも買いまくっているのですが、リバースウィーブは増え続ける一方です。それでも30着程度ですけどね。 ただ、増えた分、フリーマーケットなどで服を売ることも多くあって。そんななかでも、リバースウィーブは絶対に売らないようにしているんです。それほど愛着のあるアイテムですね。

     
     

    ブルックスブラザーズについて。これは話すと結構長くなってしまうのですが、“基礎”としての意味合いがとても強くあります。アメリカ系のシャツを着るならば、基本的にはブルックスブラザーズを選びます。 他のブランドのシャツも着ますけどね。ルーツとして、自分が育ってきたブランドだということもあるし、ブルックスブラザーズを離れてからも、やっぱりカッコいいものだって思うんですよ。 スーツがメインの、いわば堅いルールが決まっている業界に身を置いていたからこそ、今の“自由に服を楽しむ”という考えが出来上がったようにも思えます。好きな色たちを、好き勝手に合わせたり。 ただ、なんとなく“仕事にはシャツを着ていく”といったような個人的なしきたりは、今も自分の中に生きていて。自由の中にも制約がある、というか」。

    言葉と表情から、きっと西野氏は、アナーキーに、破茶滅茶に“自由”を振りかざす人ではないのだ、と思った。

    多彩な色を装いに取り入れる彼のファッションスタイルについて聞いた際には「ルールはほとんどありません。ただ、“存在しない色合わせ”は、意識的にやっています。 パープルとイエローはレイカーズのカラーだったりするけど、イエローとオレンジの組み合わせは海外のスポーツチームでも使っていないな、とか。 今日の格好なんかも、ありそうでないんですよね。見たことのない、馴染みのない色合わせ。ファッションは楽しいもの、という考え方が根本にもありますから」と言いながら、ニヤリと笑う。 そんな彼のアティチュードが、とても眩しかった。

    New Normal
    レユッカスのローファーとパタゴニアのダスパーカー

    お気づきの方もきっと少なくないだろうが、ここでの“クラシック”は、後ろを向いた言葉ではない。時系列的には後方に置かれそうな“クラシック”は、実のところ、“現在”であったり“今”につながる概念である。記事の冒頭に書いた一文を、思い出してみてほしい。

    「この言葉は、視点の話だと思う。流れ行くものを、ある一点から見つめた際の、視点の話だ」と。これは、世の“流行”のみならず、個人的な趣味・嗜好にも当てはめられるだろう。流れ行くものとしての、趣味・嗜好である。

    そんな想いから、西野氏に問いかける。「ご自身にとっての“ニューノーマル”は、何ですか?」と。

    「ニューノーマル、ですか。面白い考えだなぁ。僕が今履いている、レユッカスのローファーなんかは、そのひとつだと考えられそうですね。至極アメリカ的なブランドであるブルックスブラザーズで働いていたのもあって、僕の中での“革靴”といえば、オールデンだったんですよ。 フローシャイムを履いていたこともあったけれど、基本的に革靴はほとんどオールデン。絶対的なものだった。そんななか、イタリア産のレユッカスを初めて見たときには「何じゃこりゃ!?」と驚いたのを覚えています。 最初は、正直全然カッコいいと思えなかったんですよね。僕の中での「革靴といえばこうだ!」に当てはまる印象が、一切無かった。ただ、レショップの金子さんがとにかく推してくるもんだから(笑)、一度履いてみたんです。

     

    びっくりしましたね。めちゃくちゃ良いじゃん、って。一番は、ヒールの高さかなぁと思っています。上品なムードが香っている。それに、靴自体はすごくシャープなんだけど、全然足が痛くならないんですよ。 そこも良い。僕がリバースウィーブや501に憧れた理由は「カッコいいから身につけよう」だったのですが、この靴はそれとまったく逆を向いていたんです。「身につけてみたらすごくカッコいいと思えた」なんですよね。 今では6足ほど所有していて、すっかり虜になってしまいました。このブルーのシューズも、欲を言えば、もう一足欲しいくらいです。ちなみにひとつエピソードを話すと、息子の七五三のときに履いて行ったんです。 この靴を。そしたら、写真館のおじちゃんから、すごい目で見られました(笑)。僕の身の回りの人たちも、「カッコいい!」より「すごいね……!」と言ってくれる機会が圧倒的に多いんです。 それも、なんとなくうれしいんですよね。

     
     

    パタゴニアのダスパーカーも、僕の中では一種の“ニューノーマル”な気がしています。“ゲッコーグリーン”が代表的なカラーですね。これは“the アメカジ”といった趣の一着。 最近僕がハマっているのは、1995年、1996年頃のアメカジ的アイテムを、今っぽく着ることなんです。少々野暮ったいムードのアメリカンカジュアル的な服を、その文脈にまっすぐ乗るのではなく、たとえばあえてレユッカスのローファーと合わせたり。 足し算としてのダスパーカーと、引き算としてのローファー。そういった“塩梅”が面白いなぁと感じています。

    きっと、チャンピオンのリバースウィーブも同じ文脈だと思うんです。野暮ったいものを今っぽく着ることに関しては。僕が思う“アメリカらしさ”みたいなものにつながってくると思うんですよ。 僕、アメリカのおじさんになりたくって。人種が違うから、もちろんなれないんだけれど(笑)。スタイルとしては、きっと彼らはこういう服をサラッと着てるんだろうなぁ、なんて思っています。 こう考えるのも、言ってしまえば“自己満”であるし、ファッションってそういうものだと思いますよ。自己満でいい。自己満が、良い。心からそう思います」。

    おわりに

    “不変”と“普遍”。その両方は、音を同じくしながら、少しの意味の違いをはらんでいる。前者の“不変”は、変わることなく、ある状態を保つこと。後者の“普遍”は、広く行き渡ること。特に、すべての物に共通すること。

    ニューノーマルとクラシックについて話すとき、彼はその両方を意識していたように思う。勘ぐりかもしれないけれど、きっとそうだ。変わらないもの。すべてに共通するもの。未来と過去の話をしながら、目線は常に“現在”にあったような、そんな気がする。 それでも「いい感じに書いておいてくださいよ」と言いながら照れ笑いした西野氏の目の奥は、きっと、中学1年生の頃と同じ輝きを持っていた。そんな気持ちも、ふと湧いてくるのだ。