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  3. 順風満帆でないからこそ、チームの“旨味”はどんどん濃く|連載「火とひととき」SANABAGUN.
  • どんな表現者の煌めきも、はじめはひとつの灯火だった。

    2022年のJOURNAL STANDARD relume×Snow Peakコラボコレクションのキーテーマである「焚き火」。本企画では現代に煌めく表現者を迎え、その原点を探るインタビューを実施。

    最終回は、新メンバーの磯貝一樹(Gt.)を迎えた新体制で、ニューシングル“Deep Himawari”をリリースする8人組ジャズ/ヒップホップ・グループSANABAGUN.が登場。都心から程近いキャンプ場で、新曲の制作エピソードはもちろん、音楽に目覚めたきっかけやバンドとしてのターニングポイントなどざっくばらんに語り合ってもらった。

    ジャズボーカリスト、クラシックピアノ、スケートボードショップ
    それぞれの音楽への目覚め

    まずは、みなさんが音楽に目覚めたきっかけから教えてもらえますか?

    髙橋紘一 (Tp./以下、髙橋): 僕は中学生くらいの頃にヒップホップを好きになったのが大きかった気がします。エミネム(Eminem)とかが学校でも流行り出して、周りの友人たちが聴き始めたので、自分も聴いたらどんどんハマっていった感じですね。

    高岩遼 (Vo./以下、高岩): 小学校一年の頃から楽器に親しんでいたけど、カミナリが落ちたのは小学校三年生の頃にスティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)の“Signed, Sealed And Delivered”を聴いたとき。英語は分からないので、歌詞を聴きながら全部カタカナに書き起こして、それを夜な夜な歌っていましたね。

    澤村一平 (Drs./澤村): え、カミナリが落ちて家は大丈夫だったの?

    高岩:そういう意味じゃねえよ!

    大林亮三 (Ba./大林):(笑)。僕は歳の離れた兄の影響が大きいです。彼がギターを習い始めて、続かず放りっぱなしになっていたのを触ったのが楽器に触れた最初のきっかけでした。中学生くらいになると、CATVで『MTV』を観たり、近所のスケートボードショップでパンクとか教えてもらったりして。色々雑食的に聞いていくうちに、ブラックミュージックにハマっていきました。最初はUKロックやハードコアが好きでギターを弾いていたんですけど、当時はライナーノーツとか読んで「ソウルとはなんぞや?」みたいなことに興味を持ってハマっていって。「ブラックミュージックをやるならやっぱりベースだろう」ということでベースを弾くようになりましたね。

    磯貝一樹 (Gt./以下、磯貝):僕は野球をやっていたんですけど、中三の夏が終わって部活もなくなり……。やることがなかったから友人にギターを借りて弾いていました。

    最初に弾いた曲はなんだったか覚えていますか?

    磯貝:なんだったっけ……Aマイナーペンタトニックだったかな。

    大樋祐大 (Key./以下、大樋):曲じゃないでしょ(笑)。

    磯貝:(笑)。当時『ROCKERS』(2003年)という映画があって、その中で玉木宏さん演じる谷信之が、ずっとAマイナーペンタトニックのスケールでギターを弾いているシーンに憧れたんですよ。その後にレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の“Stairway to Heaven”で初めてギターソロを覚えましたね。

    澤村:僕は中学生の時に友達とバンドを始めて、その時からずっとドラムです。当時は椎名林檎や東京事変がめちゃめちゃ好きで、刄田綴色さんのドラムパターンとかをコピーしようと思ったんですけど、普通のロックドラムでは出てこないようなフレージングやアプローチが多かったので、独学ではなく習い始めました。そこで、習った先生がたまたまジャズドラムの人で、その先生からジャズの魅力を教えてもらっているうちに、気づいたらそっちに興味が移っていきましたね。

    大樋:僕は、歩けるようになった頃からアース(Earth, Wind & Fire)が流れると踊っているような子だったらしく、その頃から音楽に目覚めていたみたいですね。楽器は幼稚園児の頃からクラシックピアノをずっとやっていたのですが、中学生でジャズとかR&Bとか好きになって、そこから鍵盤も弾くようになっていきました。

    みなさんが「アーティスト」として目覚めたターニングポイントというと?

    高橋:僕は「アーティスト」みたいな自覚ってあんまりないんですけど、SANABAGUN.をやり始めてからは「戦うべきところ」がデカくなるたびに意識を変えたいと思っていますし、変わってきていると思います。

    高岩:そもそもキャリアのスタートがジャズボーカリストなんですよ。大学に入学するために上京してきて、「俺はいっぱしの歌手だ」と思って銀座で歌い出した19歳とか20歳くらいの頃 。今となっては単なる「青二才」だなと痛感させられる日々ですけどね。やっぱりボーカリストは「声」が楽器であり、自分の歩んできた人生や人となりが「声」に反映されていくと思うんです。だとすれば、たかが31歳じゃ「まだまだでしょ」って思います。そのくらい奥深い「楽器」だと思うし、クソジジイになっても歌い続けていたいですね。

    大林:僕はこういう質問をいただくのが初めてで、ちょっと重い話になっちゃうんですけど……。さっき話した兄の他にもう一人兄がいたのですが、僕が23歳の時に亡くなってしまったんです。それまで自分は曲作りとかそんなに興味がなかったんですけど、兄が亡くなったことでショックを受けてしまって。そこから急に曲を作り出すようになったんですよね。それで持ち歩いていたデモをフックアップしてくれた人がいて、それが縁でサナバのメンバーと出会って一員になったわけだから、すごく悲しい出来事だったけど自分にとっては大きなターニングポイントだったんだなと思っています。

    磯貝:僕は20代の頃に「プロのミュージシャンになりたい」と思って上京してきて、ちょっとずつ食べられるようになった時に、「人よりも、もう一つ飛び抜けたい」と考えたんですね。そこから自分のソロ活動を始めて、いろんな人からその作品を評価してもらえるようになった時に意識が変わった気がします。「もっと売れたい」というよりは「もっといいものが作りたい」という気持ちで今もやっています。

    澤村:僕は昔から「自由人」というか、常に自分らしくいたいという気持ちがありました。この質問を聞いて思い出したのが、初めて行った現場で初めて会ったミュージシャンとご挨拶して。その後何度かその人と別の現場で会った時に、お互いの第一印象はどんな感じだったかを言い合ったんですよ。その時にその方は、「イッペイ君はサナバとかずっとやっていて、ずっとシーンの第一線でやっているアーティストという雰囲気があるなと思いました」と言われて「マジか」って(笑)。自分ではそんなこと何も意識せずに、のほほんと過ごしていたんですけど(笑)。言ってもサナバは結成して10年近く経つし、自然とそういう雰囲気って身についていくものなのかなと。

    大樋:「アーティストとしての自覚」というか、「音楽をずっとやっていこう」と決心した18歳くらいの頃。親は普通に四大に行ってほしがっていたのですが、それを押し切って音楽大に進学したからには、ちゃんと覚悟を持ってやっていかなければという気持ちが強くなったように思います。

    磯貝一樹を迎えた新体制へ
    グループの変遷

    では、「グループとしてのターニングポイント」はいかがでしょう。原点である渋谷の路上パフォーマンスから始まり、メンバーチェンジやコロナ禍での活動など紆余曲折もあったかと思うのですが、振り返ってみて「あの時がターニングポイントだったな」と感じるのはいつの時代ですか?

    澤村:どうなんだろう。俺たちサナバって、ちょっとずつ順風満帆で大きくなっていったというよりは、膨らんでは萎んで……を繰り返しながらここまできた気がするからさ。

    高岩:間違いないね。

    澤村:そして、その度にサナバとしての「旨味」はどんどん濃くなっているというか。

    大樋:となると、磯貝くんが新メンバーになってレコーディングしたという直近の出来事が一番のターニングポイントのような気もするし。「これでまたサナバはひとまわり大きくなるぞ」って確信しましたね。

    高橋:メンバーが入れ替わるのは、バンドの歴史の中でも特に大きなターニングポイントかもしれない。結成時のメンバーはすでに5人しかいないわけで、 振り返ってみると今とはまるっきり違うバンドだなと思うし。ある意味、毎回アップデートしてきたとも言えるから面白いなと思います。

    今年2月に新メンバーの磯貝さんが入ったことで、バンドはどんなふうに変化しましたか?

    高岩:いい感じっすよ。普通にプレイヤーとして素晴らしいし、パブリックなイメージよりも相当「クソ野郎」なところも(笑)、「ならず者(Son of a gun)」集団である俺たちサナバにふさわしいメンバーだと思いますね。なんだか、もっと前からこのバンドにいたような気さえします。

    加入前から交流は深かったのですか?

    磯貝:メンバーの中では亮三と一番付き合いが長いですね。2015年頃、一緒にアフリカやヨーロッパツアーを回ったりしたし、その後に一平や祐大と知り合って。世代も、最年少の祐大以外は全員タメで……。

    高岩:祐大以外はな。

    澤村:今の「祐大以外」のところ、太字でお願いします(笑)。

    大樋:みんながおっさんすぎるから(笑)。

    磯貝:(笑)。30歳になったタイミングでサナバに誘われたというのも、何かの縁だったのかなと思っていますね。最近は、みんなで力を合わせてチームワークを発揮していくことが楽しくて仕方ないです。「こんなに仲のいいバンドが世の中にあるんだ」と思いましたし(笑)。

    新たなSANABAGUN.が描く等身大の「夏」

    そんな新体制で制作した“Deep Himawari”ですが、裏テーマは「世間一般的にいう『落ち着く』ことを意識し始めたおじさんたちへの応援歌」だそうですね。実際はどのように作っていきましたか?

    大林:これは僕がネタを持ってきました。「夏っぽいから夏の曲にしてよ」と言って投げたら、割とメンバーの反応も良くて。春にメンバー何人かで(岩間)俊樹くんの住む静岡の伊東に行ったんですよ。その時に俊樹くんが歌詞を書いてくれました。

    磯貝:目の前に海が広がっていて、ほんと「夏休み」って感じだったよね。俺はずっと寝ていたんですけど、気づいたら歌詞ができてて(笑)。すげえいい歌詞だと思ったよ。冒頭の“予定なしで集まるほど 若くはなくなった今日この頃”とか、いいところ突いてくるなと。トラックは大人な感じなんだけど、歌詞はちょっとあがいているというか。「青春」を取り戻そうとしている感じがまたいい。

    大林:いい意味でカッコつけてなくて等身大だよね。

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    皆さん、「夏」といって真っ先に思い出すことは?

    澤村:やっぱり、夏を感じるのってフェスとかじゃない?

    磯貝:確かにそうだね。夏の暑い日差しを浴びながら、青空の下で演奏するのはライブハウスとは違う開放感がある。

    澤村:終わった後に飲むビールも格別だしね。コロナ禍ではなかなかそうもいかなかったけど。夏フェスがあるから、そのあとの曲作りやレコーディングも頑張れるところあるし。

    大林:そういうムードも“Deep Himawari”のリリックには反映されている気がします。

    夏に挑戦してみたいことはありますか?

    高岩:俺、モトクロスやりたいんですよ。レースにも出たくて、ネットとかでいいのないか探しながらニヤニヤしてます(笑)。

    澤村:夏ドンピシャかわからないんですけど、今、家で育てている「ユーフォルビア・バリダオベサ」という植物があるんですけど、それが受粉して種ができ始めていて。もう少ししたら蕾がパン!と弾けて種が出てくるので、それを蒔いて夏までにどのくらい成長するかが楽しみで仕方ないんですよね。

    では最後に、夏に“Deep Himawari”と一緒に聴きたいサナバのオススメ曲を教えてください。

    大樋:“P・A・N・T・I・E”ですかね。あれは絶好のサマーチューンでしょ。

    澤村:祐大、絶対それ言うと思った。俺は“SFT”とか熱帯夜っぽさ感じるんだけど。

    大林:やべえ、それ考えるとサナバって夏の曲を作るプロなのかもしれない。

    高岩:いいねえ。夏、稼いでいきましょ(笑)。

    SNOWPEAK × JOURNAL STANDARD relume
    2022 SUMMER EXCLUSIVE COLLECTION

    SANABAGUN.

    岩間俊樹(MC)、高岩遼(Vo.)、磯貝一樹(Gt.)、澤村一平(Dr.)、谷本大河(Sax./Fl.)、髙橋紘一(Tp./Flh.)、大林亮三(Ba.)、大樋祐大(Key.)
    ストリートにジャズのエッセンスを散りばめ、独自の個性とセンスを重んじて突き進む、平成生まれのヒップホップチーム

    HP:https://www.sanabagun.net/
    Instagram:https://www.instagram.com/sanabagun_official__/
    Twitter:https://twitter.com/sanabagun

    Text:黒田隆憲
    Photo:大石隼土