Interview
常に高みを見据え、愛を抱き、 ジーンズの “理想” を追求していく。
RED CARD TOKYOディレクター・本澤裕治の矜持愛すれば、きっと愛される。愛する者は、きっと愛されるに違いない。彼のお話を聞いて、彼の視座に触れて、確かにそう思った。「デニムこそ我が人生です」と、まさしく愛にあふれた言葉で、自身のライフスタイルを表現する人。ジーンズブランド・RED CARD TOKYOのプロデューサー、本澤裕治氏である。
大手ジーンズメーカー・EDWINに10年在籍し、同ブランドの“銘品”とも言われる『503』の企画に携わった同氏。その後、Levi’s®︎へと籍を移し、6年もの在籍期間、代表モデル『501』の担当を務めた。さらには、Levi’s®︎を離れたのち、数々の国内ブランドのジーンズをアドバイザー・コンサルタントとして監修してきた。
「正直、ジーンズってめんどくさいものだと思っているんですよ。でも、それが面白いですし、好きなんです」と、はにかみながらもまっすぐな目で、その魅力を存分に語ってくれた本澤氏。“デニム愛”の一言では語り得ないほど熱くたぎる、彼の確固たる矜持に触れてみよう。
Photo_Shunsuke Imai
Interview&Text_Nozomu Miura僕は、ジーンズを工業製品だと思っているんです
「大学で機械工学を専攻していたこともあってか、僕はジーンズのことを“工業製品”だと捉えているんですよね」と、ある種“独創的”とも言えそうな表現で、ジーンズについて語り始めた本澤氏。まずは彼がはじめてジーンズと出会った頃について話してくれた。
「僕が若い頃は、アイビーファッションの全盛期でした。みんながこぞってブレザーを着ていたり、ネクタイを締めていたり。そんなトレンドが終わってすぐに、デザイナーズブランドが流行って。当時のファッショントレンドはもう、ぐちゃぐちゃでしたよ。さまざまなファッションが混ざっているような時代。デザイナーズブランドのトレンドから程なくして、アメカジが流行のスタイルに。その頃はじめて日本にリジッドのジーンズが入ってきたんです。戦後から上野は、日本に米軍払い下げのデニム&ジーンズの販売を始めた発祥の地で、上野に行けば並行輸入で本場のアメリカのジーンズを買えました。その頃からですね、僕がジーンズを穿くようになったのは」。
世のトレンドに呼応する形で、ジーンズを手にするようになった本澤氏。ただ、その魅力の捉え方は、いわゆる“ファッション的”ではなかったという。
「もちろんファッションアイテムとして楽しんでいる側面は今も昔もあるけれど、僕は特に、ひとつの“道具”としてジーンズを捉えていて。リベット(ポケットのフチの部分を補強するために開発された、釘やねじのような金属パーツ)やボタン、縫う糸などを見るんです。“工業製品”として捉える、というか。だからこそ、作る際にも“工業製品”としての意識で製作する。今でも本場アメリカでは、ファッションアイテムとしてでなく、本物の"作業着"として扱われています。もともとジーンズは、炭鉱夫の着る丈夫な作業着ですし、ね」。
結果的に、ジーンズ一筋になった。
本澤氏が歩んできたこれまでの道のり若き頃に経験した、ジーンズとの出会い。時流に沿うようにしてジーンズへの関心を高めていった彼が、ジーンズをひとつの“生業”とするには、どのような道のりがあったのだろうか。
「本当にたまたまなんですよ。就活の頃に、EDWINが募集をかけているのを見かけて。あの頃から、工業製品としてのジーンズを面白いと思っていたし、そういったアイテムの企画や生産に携わることができるのは当時の僕にとってすごく魅力的でした」。
“たまたまなんですよ”と慎ましげに話す本澤氏であったが、EDWINには大いなる魅力があった、と話す。
「EDWINには、世界トップクラスの縫製工場や加工工場(製品に洗いをかけるセクション。Levi's®では“ランドリー”と呼ばれている)があったんです。ブランドがジーンズの世界トップクラスになるために行ってきた、すべてを見ることができた。すごく貴重な体験だったと思います。それに、ジーンズを作る工程すべてを一貫でおこなうEDWINで働けたのは良かったですね。カイハラ社というデニムの生産会社があるのですが、そこもEDWINと同じく一貫生産にこだわる会社で。デニム生産において国内トップを誇るカイハラと手を組んでいた、というのもEDWINに勤めて良かった点ですね」。
ファーストキャリアであるEDWINでの10年を経て、デニム界屈指のビッグブランド・Levi’s®︎へと籍を移したという。両者にはとある共通点があったようだ。
「それは、EDWINの後に勤めたLevi’s®︎も同じ。一貫生産でジーンズを作る会社です。一貫生産のポジティブな点としては、品質が安定する、というポイントがあって。1本のジーンズを作るために、みんなが同じ考えを持って作業をするんですよね。自分たちの企画開発したオリジナルの生地をデニムの生地屋さんと一緒に作って、さらに、ジーンズを構成するために必要な付属品である縫製糸、ネーム関係、ボタンやリベット、ファスナーのような金属パーツを生地と同じように一緒に作って、自分たちの工場で縫製して、自分たちの工場で加工して、自分たちの工場で最後まで責任を持って仕上げる。すべての工程を自分たちと、そのチーム全体を巻き込んでやるからこそ、まっすぐなもの作りができるんです」。
“RED CARD TOKYOは、
EDWINとLevi’s®︎の「いいとこ取り」なんですよ”話は、本澤氏の“過去”から、“現在”へ。彼が手がけるジーンズブランド・RED CARD TOKYOの魅力と、そこにかける深いこだわりについて話をうかがった。
「RED CARD TOKYOを立ち上げてから10年以上が経ちますが、今でもずっと、僕が勤めてきたEDWINとLevi’s®︎の文化を継承しています。それぞれが誇る、一貫生産というアイデンティティもそう。加工の技術だってそう。縫製工場も、ランドリーも、使用している縫製糸や付属品などもそうです。すべてが、これまでの集大成なんですよね。それぞれの経験が活きているんです」。
ブランド立ち上げまでに関わってきたEDWIN・Levi’s®︎から、文化を受け継いだというRED CARD TOKYO。さらにはその2社だけでなく、後の経験からも影響を受けていると話す。
「それに、Levi’s®︎を離れたのち関わってきた国内ジーンズのコンサルタントの経験も活きていますね。“たくさんの量を作る” という点では、アジア各国で生産をおこなう日本の大量生産的ジーンズの生産に関わった経験が大きな学びになっているような気がします」。
数々のキャリアを経て、そこでの学びを等身大に表現したブランド・RED CARD TOKYO。立ち上げ当初の苦労についてうかがってみた。
「RED CARD TOKYOを立ち上げた頃は正直、苦労も少なくなかった。今は作っていないけれど、当時はホットパンツ(丈がとても短いショートパンツ)を作ったりもしていましたね。ブランドとして安定するまでは、すべて手探りでいろんなことをやりつつ、方向性を見定めていきました。ほんと、いろんなことをやってきたなぁと感じますよ。昔を思い出すと。ただその中でも、『Anniversary』という定番モデルが出来たのは大きかったように思います。モデルの名前は、僕自身がこのジーンズの仕事をするようになってちょうど20年目だった節目に由来していて、記念すべき定番モデル、とも言えますね」。
ブランドのあり方、その立ち上げの際の苦労に加えて、そもそもブランド名の由来やこだわりはどういったものなのか。本澤氏はこう語ってくれた。
「ブランド名の『RED CARD TOKYO』にも、こだわりがあって。赤を意味するREDは、言わずもがな、Levi’s®︎の色のイメージ。6年間働いてきたブランドへの愛ですね。また、名前の意味については、EDWINやLevi’s®︎にはもう戻らないぞ、という決意の心が含まれていて。“一発退場”を意味するレッドカードをあえてブランド名として掲げることで、「もう戻らないんだ!」であったり「ここで頑張るんだ!」であったり、更にこれらのブランドを超える物作りをするんだと、強く意志を固めるような形。ただ、自分で決めておきながら、戻れないって正直ちょっと辛いですけどね(笑)」。
“運命であり、宿命であり。「ライフ・イズ・デニム」です”
インタビューの終わりに、本澤氏が抱く、デニムに対しての愛情と熱い矜持について伺った。
「ジーンズって、めんどくさいものなんですよ。だって、そもそも固いし。重いし。メンズ向けのジーンズなんて、およそ800グラムもあるんですから。それに、洗濯しても全然乾かないし(笑)。ただ、そのめんどくささが良いんですよね。僕は、便利すぎるものを良いとは思えない。レコードに針を落とすように、心を決めて穿くものだと思ってるんです。だからこそ、僕はリジッドのデニムを勧めたい。アメリカで生まれた最初の“生デニム”を。履いているうちに色落ちが出てきて、そこに“物語”が浮き出てくるんです。最初は固くてめんどくさいけれど、“育てる”という点もジーンズの魅力ですからね」。
ジーンズとは、めんどくさいもの。それはきっと、表面的にはネガティブな言葉として捉えられてしまいがちだけれど、しっとりとした優しい愛情あふれる表現なのだろうと思う。伏し目がちに、それでいてにこやかに、本澤氏は続けた。
「ただ、僕たちRED CARD TOKYOとしては、昔ながらのあり方にしがみつきたい訳ではありません。ジーンズは、どんどん新しくなっていくものだと思うんです。ついこの間まで流行っていた形が、すぐに古くなってしまうことだってある。だからこそ、時代の空気を読みながら、“生きているもの”として、ジーンズを見つめていかなくてはならない。お客さまのニーズに合うものを作っていかなくてはならないんです。そして、いつも新たな挑戦=チャレンジを入れ込み、未来を見据えて新たな若い人々と交わりながら、大いなる夢があるジーンズの世界を、1本でも多く届けていきたいのです」。
まっすぐな目で、彼はこう続ける。
「だからこそ、“理想のジーンズ”って、未だに作れていないんです。これだけ長いことジーンズに関わってきてもなお、理想は叶っていない。どれだけ追い求めても、理想には辿り着かない。きっと、そうでもなければ、今の仕事は続けられていないはずです。人生なんですよ。ジーンズって。ライフ・イズ・デニム。デニムこそ我が人生、なんて思っています」。
おわりに
愛を語る時、人はとても良い顔をする。正直それは、はっきりとした形を持たないため、“これこそが愛だ!”と断定するのは難しいのだけれど。
ただひとつ、確かに言えることがある。本澤氏が語るジーンズへの想いは、きっと、強い愛なのだと思う。ジーンズを愛する。そして、ジーンズから愛される。そんな相互の想い合いと確かな信頼の結託が感じられたのだ。
「ジーンズを見るとね、気の知れた友人に対して言うみたいに“コイツ”なんて言っちゃうんですよ」と話す彼の表情こそが、その愛すべてを証明していたような。そんな豊かな時間であった。
Denim Care
プロの洗濯集団「洗濯ブラザーズ」によるデニム洗いについて
本澤氏が語ってくれた「“育てる”というのもデニムの魅力ですからね」という言葉。我が子を想うような心。ただ単純に“穿く”だけでなく、その行為自体を尊く想い、大切にすることがデニムへの愛を育むのでしょう。
ここでは、本澤氏へのインタビューに続けて、『毎日の洗濯が、「嫌いな家事」から「好きな家事」になるように、洗濯の楽しさを伝える活動をしている』という集団・洗濯ブラザーズによるデニムのお手入れ方法をご紹介します。
本澤氏が語った“めんどくさいもの(もちろん愛はあるけれど!)”としてのデニムを、もっともっと深く、長く愛していくための方法。ぜひチェックしてみてください。
「洗濯ブラザーズ」が考える“洗濯”とは?洗濯ブラザーズ・次男の茂木康之です。普段は、世田谷区三宿でLIVRERというクリーニング屋を運営しながら、週末はポップアップという形で全国各地のアパレルショップへ行き、洗濯のノウハウを伝えています。
この「モノカタル」では、正しい洗濯とは“新品に近い状態を保ち続ける事”と定義し、家庭の洗濯機や手洗いで出来る、なるべく手間をかけない洗濯方法をみなさんにお教えします。
新品に近い状態を保つためにいちばん大切なのは、汚れをしっかり取りつつも、繊維にダメージを与えないこと。ダメージを与えにくい洗い方をすれば、新品に近い風合いを保つことができるんです。
「洗濯ブラザーズ」が考える家庭でのデニム洗い
使用アイテム
「洗濯ブラザーズ」が答えるデニム お手入れFAQ
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Q1.デニムって、どれくらい着たら洗うの?
もちろん、目立つ汚れが付いたらその日のうちに洗うことをオススメしますが、そうでなければ、ワンシーズンで2〜3回程度、自分の好きなタイミングで洗濯するくらいがちょうどいいです。洗い過ぎは生地を痛めることになるので、あまりオススメしません。
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Q2.ダメージジーンズってどうやって洗うの?
ポイントが3つあって、1つ目が洗濯ネットに入れる際にダメージ部分を中に折り込むこと。2つ目が脱水の際にダメージ部分が動かないようにすること。3つ目がダメージ部分にタオルを当てること。この3つを守ると、穴が広がりにくいです。
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Q3.リジットのデニムを買いました。最初の洗濯のときに気をつけるポイントは?
ドライクリーニングをする、もしくは『Denim Wash』を使うのがオススメです。というのも実は、服の寿命が決まるのってファーストウォッシュ(最初の洗濯)のときなんです。初洗いでガシガシと生地を痛める洗い方は洋服の寿命を縮めることになるので、オススメしません。
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Q4.色落ちを極力させたくない。どうすればいい?
これもデニム専用洗剤ですね、色を定着させる成分が入っているので、洗濯時の色落ちを軽減できるだけでなく、普段の着用時の色落ちも予防できます。
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