ジャーナル スタンダードが25周年を迎えます。25歳というと、もう誰かに頼って生きるには大人すぎるけれど、かといって「一人前」と胸を張るには心もとない。そんな狭間の年齢です。ジャーナル スタンダードも、まさにそんなひと幕に差し掛かっています。そこで、このあたりでもう一度、そのブランド人生を振り返ってみたいのです。今回、ブランドの母体であるベイクルーズの上席取締役副社長であり、ジャーナル スタンダードの社長も務める古峯正佳に話を訊きました。ジャーナル スタンダードの黎明期から今日までを、ずっとそばで見つめてきた彼の証言とともに、過去、現在を紐解き、そして未来のことを考えてみます。
Photo_Shintaro Yoshimatsu
Text_Masahiro Kosaka【CORNELL】ジャーナル スタンダードが
初めて東京に
やってきたときのこと。まずは、古峯さんがベイクルーズに入社した経緯など、ご自身の経歴について訊かせてください。
ベイクルーズには25歳のときに入社したので、そろそろ25年くらい経ちます。で、ジャーナル スタンダードは今年で25周年。個人的には、いろんな数字が奇しくも重なります。大学を卒業して最初に勤めたのは、ユニフォームなどを扱う会社で、地方営業を3年間くらいやりました。でもあるとき、「果たしてこの仕事は本当に自分のやりたいことなのか?」と、ふと思い立って、すぐにアパレル企業への転職を決心したんです。それで、ベイクルーズの募集を見つけて、採用試験を受けることに。
最初に配属されたのは?
エディフィスでした。存在はかねてから知っていて、当時、転職先を探して明治通りを歩いているときにも覗いたりしていた。いまでこそ珍しくありませんが、当時エディフィスはミッドセンチュリーなどの家具・インテリアと洋服を同じ空間で扱っていて、それが先駆的でかっこよかった。エディフィスがまだ4店舗しかなかった頃のことですね。渋谷、銀座、札幌、そして新宿。新宿店がオープンした直後のタイミングで、ぼくはオープニングスタッフとして入ったんです。
それから現在まで、どんな経歴を辿ったのでしょう?
1年半くらい販売員をやって、副店長になりました。次の年に店長になって、そうしているうちにエリアマネージャーを任せてもらうことに。その後、現・会長から呼び出されて「ドゥーズィエムクラスへ行ってほしい」と。当時のドゥーって、ファッションに対していま以上に熱くて、プレッシャーに耐えられず、誰がディレクターをやっても1年持たないという状況でした。「ちょっとキツイな......。」なんてことも思いましたが(笑)、「まぁやってみるか」と、結局5年くらい担当して。そして、ドゥーを基盤にしたラクラス社をベイクルーズの分社として立ち上げることになったときに、その社長を務めることに。その後、ルドーム社、フレームワークス社のカンパニー長を歴任しながら、同時にベイクルーズの副社長もやって......、と、そんな感じでいろんなことを経験させてもらったわけです。
ジャーナルスタンダードと深く関わるようになったのは、その後のことですか?
そう、ここ4年間くらいですね。
それでも、その存在を黎明期からそばで見つめてきたわけですよね? 立ち上げ当時のことは覚えていますか?
ジャーナル スタンダードの立ち上げは、じつは福岡からなんですよ。当時、現地のディベロッパーから、メンズ・レディースの複合店をベイクルーズに作ってほしいと依頼があって。そこにチャンスを見出した現会長が、ジャーナル スタンダードを立ち上げた。福岡の次に京都、そのあと東京に進出してきたんです。なので東京に店舗ができたのは、ブランドができて3年目。いまは無き神南本社の1階にあったのですが、いまでも覚えているのは、日々入場制限がかけられるくらいたくさんのひとがやってきて、行列を作っていたこと。近くで眺めて、羨ましく思っていましたね。
数量限定や有名デザイナーとのコラボなど、プレミアムな商品が発売するタイミングに“モノ目当て”でひとが集まるのは、いまでは当たり前の光景ですよね。でも、当時のジャーナル スタンダードでは、ただそこに入るためにひとが並んでいたと。いまとは違った、洋服に対する情熱が感じられますね。その活況の要因は、何だったのでしょう?
この前、ホワイトマウンテニアリングの相澤陽介くんと話していて、「そうか」と得心したことがあって。それは、ジャーナル スタンダードが、業界で初めて「カップルで楽しめるアメカジショップだったんじゃないか」ということ。それまでは「男性のもの」というイメージだったアメカジを女性にも浸透させたのは、ジャーナル スタンダードかもしれません。
ブランド立ち上げの本懐であった“男女複合”が、まさに多くの服好きたちの心を射止めたということですね。
いまではそこそこ大きな会社になったベイクルーズの急成長エンジンは、ジャーナル スタンダードだった。それは事実です。「ベイクルーズという会社を知らないけれど、ジャーナル スタンダードは知っている」というひとは、いまでもかなり多いと思いますし。
“ジャーナル スタンダード
らしさ”
への回帰。少し話は戻りますが、古峯さん自身は、どうしてファッションの世界を志したのですか? また、キャリアの早い段階からマネージャー職やディレクター職を務めるようになったのは、もともとそうした職種を志望していたから?
ファッションを志したのは、単純に好きだったから、としか言い表せませんね。多くの服好きと同じく、学生時代は、バイトをして得た軍資金はすぐに洋服に換わっていました。それでも実際にアパレル企業に勤めてみると、“売れる”のが好きだということに気づいた。“売れる”ことは、自分たちの発信する価値観への共感の表れ。仲間が増えていく、そんな感覚を最初から覚えていました。そこがハマったからこそ、早い時期からさまざまな仕事を任されるようにもなったのかもしれません。
それはつまり、ベイクルーズの発信するファッションや価値観に、ほかでもない古峯さん自身が共感していたからこそですよね?
そうですね。「他社でも同じことができていたか?」というと、おそらくそうじゃないでしょうね。
古峯さんがそんな風に共感を覚えるベイクルーズらしさとは?
なんだろう。まず社風の話をすると、ベイクルーズには、あまりヒエラルキーを気にしないムードがあるかもしれません。何かを決めるにあたっても、いちいち段階を経て話を進めなくてもよい場合が多いというか。経営のレイヤーと販売員たちとの垣根も、わりと低いと思います。このことは、よく競合で同じくらいのレイヤーの方と話をするときにも話題に上がりますね。
確かに、今日古峯さんがジャーナル スタンダードの社員たちと接する様子を見ていても、その距離の近さはひしひしと感じられました。一方で、ことファッションにおいて共感するポイントは?
ベイクルーズ全体のベースに流れる“トラッド”は、ぼくの好きなスタイルのひとつでもあります。
それこそジャーナル スタンダードも、トラッドスタイルがその根底にありますよね。2021年には「スタンダード ジャーナル」という新たなレーベルをスタートしましたが、それこそトラッドをはじめとしたブランドの軸に回帰していくような狙いがあるのでしょうか?
そこまで深く考えていませんよ(笑)。でもまぁ、「ジャーナル スタンダードらしさを、いま一度表現しようよ」みたいな空気はあるかもしれません。無骨さだったり、やんちゃな感じだったり。そうした旧き良きジャーナル スタンダードの世界観をいまっぽくアレンジしながら表現しているのが、「スタンダード ジャーナル」かもしれない。
この日は、お気に入りの私物もいくつか持ってきてもらった。グレンフェルのオイルドジャケットは、英国製。ジャーナル スタンダードの立ち上げに深く関わった社員から、20年以上前に譲り受けたもの。
今日は古峯さんの私物もいくつか持ってきていただきましたが、そんな「スタンダード ジャーナル」のアイテムもありますね。
このカーゴパンツは、もともとエディフィスでバイヤーをやっていた尾崎くん(現・サンカッケーのデザイナー尾崎雄飛さん)と作ったもの。「ただ普通に作っても面白くないよね」と、色や素材使いでいまっぽく仕上げてあります。こっちのスウェットプルオーバーはベストセラーですね。これは西野さん(現・ニートのデザイナー西野大士さん)が作ってくれました。肉厚なスウェットって、まさにジャーナル スタンダードを象徴するようなアイテム。そうしたアイテムは、やはりスタッフの購入率も高かったりします。
“洋服屋”をきちんとやる。
これからの
ジャーナル スタンダードの姿。25周年を迎えるジャーナル スタンダードですが、その年月に胡座をかくことなく、今後ますます新しいことに挑戦する意気込みが、「スタンダード ジャーナル」ひとつとっても見て取れます。ブランドの未来をどのように考えていますか? アパレル業界では、SDGsやサステナブルといった言葉が近年しきりにささやかれているところでもあります。
たしかにSDGsやサステナブルといった言葉が多くのメディアで取り沙汰されていますが、その対応策に関しては、どこか表面的な取り組みが目立ちます。付け焼き刃でなく、ぼくらにやるべきことは、もっとたくさんあるはずなのに。業界の体質を刷新することもひとつでしょう。たとえばセールにすることを最初から見越して、服を余分に作る文化。そんなことをするくらいなら、きちんと定価で売り抜ける物を作って、しっかりと提案して売っていく。そして作り手や売り手に還元する。
確かに、サステナブルを謳った再生繊維で作った商品が、結局余ってしまっている。そんなナンセンスも耳にします。
自戒を込めてですが、そうした当たり前のはずのことが、多くのアパレル企業ではできていないんですよね。
ジャーナル スタンダードのこれからは、そうした悪習を打開することにあるということでしょうか?
例えば「スタンダード ジャーナル」の商品は、現状セールをしていません。何年も継続して着られるスタンダードなアイテムを展開していますから。「今後どんな未来にするか」というと、もう一度、そもそもの“洋服屋”をきちんとやること。そのために、それこそぼくが入社して間もない頃を知っている世代が、当時の価値観や感覚をいまの世代にきちんと届けていくこと。洋服も、遊びも、カルチャーも。この25年がむしゃらに頑張ってきたジャーナル スタンダードのメンバーが、次の世代に背中を見せて、その文化や価値観を継承していくこと。それが、この先のブランドの形を作っていくはずです。