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  • パリ・サン=ジェルマンが掲げる『FLUCUAT NEC MERGITUR(ラテン語でたゆたえども、沈まず)』の
    スローガンに符合する、一人のサッカー選手がいる。
    サッカー元日本代表FW大久保嘉人。
    これまでのサッカー人生で多くの歓声を一身に浴び、ときには批判にさらされてきた。
    それでも、タフに見る者を熱狂させるゴールと、勝利を追い求めてきた。
    サッカー専門新聞「ELGOLAZO」が引き合わせた、エネルギッシュな出会いによって、
    生粋のストライカーがPSGの生み落とした『MIL-SPECTATOR』をテーマにした新作コレクションに袖を通す。

  • パリ・サン=ジェルマンが掲げる『FLUCUAT NEC MERGITUR(ラテン語でたゆたえども、沈まず)』の
    スローガンに符合する、一人のサッカー選手がいる。
    サッカー元日本代表FW大久保嘉人。
    これまでのサッカー人生で多くの歓声を一身に浴び、ときには批判にさらされてきた。
    それでも、タフに見る者を熱狂させるゴールと、勝利を追い求めてきた。
    サッカー専門新聞「ELGOLAZO」が引き合わせた、エネルギッシュな出会いによって、
    生粋のストライカーがPSGの生み落とした『MIL-SPECTATOR』をテーマにした新作コレクションに袖を通す。

  • 小さなヒーロー

    「サッカー以外で負けてもなんとも思わん。でも、サッカーだけは違った。子どものころから、ヒーローになりたかった。それが大好きなサッカーを続けてきた、ピッチで点を取る理由だったのかもしれない」

    そんな小さなヒーローの原点。それは、おとんとの思い出だった。

    「勉強ができなくても、サッカー以外のことで怒られたことは一度もない。でも、自分が好きで熱中しているサッカーで負けると、おとんからはこっぴどく怒られた」

    ただし、怒られた後は、決まってこう続いた。

    「好きなことで名を残せ。おまえの大好きなサッカーでプロになれ」

    嘉人にとって、おとんは、そうやっていつも背中を押してくれる存在で在り続けた。

    「おとんに、オレは褒められたかったんやと思う。それがオレの原動力だった」

  • たゆたえども、沈まず

    パリ市の紋章に刻まれ、パリ・サン=ジェルマンのスローガンとなっている言葉がある。

    『FLUCUAT NEC MERGITUR(ラテン語でたゆたえども、沈まず)』

    数奇な運命を辿ってきた華の都を船にたとえ、どんな強風にあおられても揺れるだけで沈まない。その気高きフレーズを聞いた、嘉人は「なんだかオレみたいやね」と笑った。

    18歳で飛び込んだプロの世界は甘くはなかった。いいときもあれば、悪いときもある。おとんにしか怒られなかったという男は、顔の知らない誰かに褒められることあれば、ときには心ない言葉を向けられることもあった。

    「でもね」と言って、「そういう人たちがいたからこそ、オレは頑張れた。『大久保って凄いんだ』って、そう思わせたかった。それが新たな力となって今までやってきた」と、ウンウンと首を縦に揺らした。

    派手なボレーや、ミドルシュートも、ゴール前で身を潜めて一瞬の隙を突くゴールも、全てが糧となった。ネットが揺れる度に、見る者を熱狂させ、自らの存在価値を証明してきた。そうしてJ1最多185得点の金字塔を打ち立てた。

  • 褒められたいパパ

    余命を宣告され、長く闘病生活を続けた父の克博さん(享年61歳)は、2013年にこの世を去った。だが、おとんに褒められたかった男には今、新たなモチベーションがある。

    嘉人は「以前はそんな風なことを考えなかった」と言い、父親の顔へと変わる。

    「子どもたちが毎回試合を見に来て『パパみたいになりたい』『こんな風に自分もなりたい』って言ってくれる。それがめちゃくちゃうれしい」

    声を弾ませる子どもたちの顔を見る度に、新たな力が湧いてくる。

    「まだまだ辞められないね」

    今年で38歳。気づけば、おとんに褒められたかった男は、褒められたい父になっていた。

  • 文=馬場康平
    text by Kohei Baba

    写真=宇高尚弘
    photo by Naohiro Utaka

    ヘアメイク=翔太
    hair&make by Shota

  • 大久保嘉人(おおくぼ・よしと)

    1982年6月9日生まれ、福岡県出身。国見高3年時に総体、国体、選手権の3冠を達成。01年にセレッソ大阪に加入。04年にスペインのマジョルカに移籍。06年に復帰したC大阪からヴィッセル神戸、ドイツのヴォルフスブルク、神戸復帰を経て13年から川崎フロンターレ。17年はFC東京に在籍し、18年に川崎Fに復帰。ジュビロ磐田を経て今季から東京ヴェルディに所属する。J1通算185得点は歴代1位。日本代表では04年アテネ五輪と、10、14年のW杯出場。国際Aマッチ通算60試合6得点。