
TOKYO No.1 SOUL SET for JOURNAL STANDARD relume.
川辺ヒロシとBIKKEの東京。
〈JOURNAL STANDARD relume〉と『TOKYO No.1 SOUL SET』のコラボレーションプロダクトのリリースに際して、メンバーの川辺ヒロシとBIKKEにインタビュー。Tシャツ、古着屋、クラブ、友人の部屋、夜の街。2人の記憶に残る断片から、『TOKYO No.1 SOUL SET』という名前の中にある“東京”の輪郭が少しずつ見えてくる。服を着ること、街で遊ぶこと、言葉を発すること。30年以上にわたって変わらない2人のスタンスを、それぞれの歩みから辿っていく。
Photo_Kazuki Miyamae
Interview&Text_Nobuyuki Shigetake
「どうせそのうち楽しくなる」
川辺ヒロシ
TOKYO No.1 SOUL SETの屋台骨を支えるトラックメイカーであり、そのバックグラウンドに不可欠なクラブDJとしての長いキャリアの中で数多くの伝説的なパーティーのフロアを沸かせてきた。藤原ヒロシとの”HIROSHI Ⅱ HIROSHI、クボタタケシとの”SONS OF NICE YOUNG”(1996年)、DJ KENT (FORCE OF NATURE)、笹沼位吉(SLY MONGOOSE)との”GALARUDE”や、石野卓球とのユニット”InK”としても活動中。プロデュースワークとして、小泉今日子他多数。TV、映画音楽、CM楽曲なども手掛ける。
ー 今回のコラボレーションTシャツは、ライブフォトを使ったデザインになっています。最初に見たとき、どう感じましたか?
川辺ヒロシ:率直にかっこいいなと。ありがたいです。少し照れますね。自分の顔がちゃんと出ているマーチャンダイズって、これまで作ってきてないんです。アルバムのジャケットでも、ポートレートみたいなものはあまり使ってこなかったので。
ー 川辺さん自身は、これまでバンドTシャツや音楽Tシャツを着てこられましたか?
川辺:もう、子どもの頃からずっと着ていましたよ。最初はたぶんRCサクセションですね。中2くらいのときに買ったものだと思います。まだ中学生なので、「俺はこれが好きなんだぜ」という感覚で着ていたのかな。でも、知っている友達はそんなにいなかった。学校全体でも何人かしかいない、みたいな。
ー 言葉にしなくても、Tシャツで繋がれる感覚はありますよね。
川辺:そうですね。今は聴いたことないバンドのバンドTを着る人もいるみたいですけど、それも面白いですよね。SOUL SETも、昔、音源より先にグッズが出たんです。原宿で洋服をやっていたメンバーの渡辺(俊美)くんがロゴ入りのキャップを作ってくれて。それがなぜか街の人たちのあいだでバズったんです。レイカーズっぽい感じのデザインで、僕らのことなんてまったく知らない人たちも被っていた。しかも、それを何年か前に、クラムボンの(原田)郁子がタイで見つけたらしくて。版だけが残っていて、まだ誰かが作っていたんでしょうね。誤解も含めて、そういうふうにロゴやデザインが一人歩きしていくのは面白いなと思います。
ー 川辺さんは服を選ぶときの基準ってありますか?
川辺:デザインも気にしますけど、肌に合うかどうかが大事ですね。たとえば〈BAL〉は、デザイナーの江田くんが敏感肌だから、タグもプリントにしていたり、チクッとしたり、ストレスになるものがないんです。
ー 普段着とステージ衣装とで違いはありますか?
川辺:DJをするときは、完全に動きやすさを優先しちゃっています。ドレスアップしたい気持ちもあるんですけど、ジャケットとかはどうしても無理で。直前まで選曲で悩んでいるので、服には悩みたくないんです。スティーブ・ジョブズみたいに「これだ」と決めておいて、ギリギリまで選曲する感じです。
ー 選曲はその都度変わるものだと思うんですけど、どういうふうに考えているんですか?
川辺:その日のパーティーの内容次第で、大箱ならこう、小箱ならこう、地方ならこう、フェスならこう、という考え方もあるし、僕以外の他の出演者が誰なのかによっても変わります。今度、築地場外でDJをするんですけど、これまでその場所でパーティーイベントをやったことがないらしくて、どうすれば良いのか本当に見当がつかない(笑)。そういうときは何セットか作って持っていったりしています。
ー DJのセットを選ぶ上で、根底にあるものはありますか?
川辺:人によく言われるのは、僕がDJをするとドリンクカウンターが賑やかになる、ということですね。フェスとかでもそうらしいです。聴いていたらだんだん楽しくなってきて、そのまま踊りながらどこかへ行っちゃう、みたいな感じが好きなんです。真っ暗でストイックにみんながこっちを見ているより、あっちこっち移動したり、僕のことなんか気にせずにべらべら喋っているようなフロアが好きですね。
ー ちなみに、TOKYO No.1 SOUL SETという名前は、どうやって生まれたんですか? いろんなところで話していることだとは思うんですけど。
川辺:イベントのフライヤーか何かで、誰かが僕らのことをそうやってコメントしていたんです。結成当時でまだ名前もなかった頃に、渡辺くんとBIKKEと僕とMCドラゴンの4人でやっていて、周囲からは「ソウルセットスタイル」みたいに言われていました。レゲエだけじゃなくて、いろんなジャンルをかけるから、という意味らしいんですけど。それで誰かが「彼らは東京ナンバーワンのソウルセットだ!」みたいなことをフライヤーに書いていて、それを見て「すごくいいじゃん」と。誰も東京出身じゃないけど。
ー TOKYO No.1 SOUL SETは音楽性もメンバーの雰囲気も含めて、「東京の音楽」と感じる人は多いと思います。
川辺:東京らしさ、みたいなことは特に意識していなかったです。でも、生活していると、自然とそうなるんだと思います。大阪のバンドは大阪っぽいし、京都のグループは京都っぽい。ちゃんとそこで生活していると、アウトプットに滲み出てくるんじゃないかな。
ー 川辺さんは、東京に長く住まれていますよね。
川辺:もう40年くらいですかね。最初は洗足池で、その後も西側ばかりです。駒場だったり、池尻だったり。東急沿線が多いですね。一回、六本木にも住みました。六本木ヒルズができる前、南北線と大江戸線ができる頃です。当時の麻布十番や麻布台は陸の孤島みたいに言われていて、どこに行くにも20分くらい歩かないといけなかったんです。その頃、2002年のワールドカップがあって、六本木がとんでもないことになっていて、すごく面白かったです。生活もめちゃくちゃで、だいたい朝寝て、夕方に起きる。24時間やっているお店もたくさんあって、何時でもおいしいご飯が食べられるのが六本木でした。街全体の怪しさがすごすぎて、どんな怪しい服を着て歩いていても、かき消されてしまう。それがすごく面白かったですね。
ー 夜の街を歩くことも多かったんですか?
川辺:夜中の散歩はすごく面白かったです。六本木から赤坂に行って、国会議事堂の方まで、夜中の2時、3時によく歩いていました。ひとりで、音楽を聴きながら。赤坂なんて、昭和の亡霊みたいなものが見えるんです。昔の派手だった時代というか、力道山の時代の人たちみたいな。
ー その頃と比べると、東京はかなり変わりましたよね。
川辺:そうですね。六本木もずいぶん綺麗になりましたけど、ヒルズができる前のあの辺は、すごく面白かったです。麻布十番の方にも狭い路地がたくさんあって、入り組んでいて、すごく好きでした。でも、それが麻布台ヒルズになったじゃないですか。今はもう、どこがどこだったかわからないくらい変わってしまいましたよね。
ー 90年代の東京は雑多で楽しそうですね。
川辺:どうなんですかね。そうとも言い切れないような気もします。面白かったような気もするけど、あまり覚えていないというのが正直なところで。若い頃は、心と体がバラバラですから。今はもう大人だから楽しいときは「これは楽しい」と理解できますけど、若い頃は体が先に反応してしまうというか。そのときに「自分は楽しい」と理解できているわけではなくて、とにかく心が沸き立っているような、わーっとなっている感じというか。
ー 時間の価値だったり、情報伝達のしやすさも今とは全然違いますしね。
川辺:携帯もみんなが持っていたわけでもなかったですからね。でも、それでよく「あそこのクラブが面白い」とかって、どうやって知っていたんだろう。誰かが教えてくれてたんだろうな。どこかのクラブに行って、来ている子たちと「あそこ行った?」みたいな話をしていたんでしょうね。きっと、今よりもっと人と話していたんだと思います。
ー 今もレコードは買われていますか?
川辺:全然買っていますよ。唯一の趣味みたいな感じなので。新譜も多いです。ただ、今は価格が倍になりましたからね。
ー 他に、趣味として続けていらっしゃることはありますか?
川辺:趣味らしい趣味は全然ないんですけど、DJであちこち行く機会が多いので、昔だったらギリギリで現地に着いて、クラブでDJをしてすぐホテルに帰る、みたいな感じだったんですけど、今はもう少し余裕を持って現地に着いて、街を見てみたり、温泉に入ってみたり、おいしそうな居酒屋に入ってみたりしています。そうやって街を感じてからDJをする、というのが楽しくなってきました。歳を重ねるとそういうことが楽しくなるんだなぁと。若い頃は現地のお店とか食事とか、まったく興味がなかったんですけど。
ー 街のムードや空気感を浴びてからDJをするというか。
川辺:そうですね。日本中に友だちも増えて、人との関わりのなかで「この街はこういう感じなんだ」と分かってくる。初めて行く土地で、良さそうなお店に入ったら「川辺さんですか? 聴いています!」と言われたりする。東京以外の土地にも僕らのことを知ってくれている人がいて、そうやって話ができるのはすごく楽しいですね。本当に、日本中どこへ行っても楽しいです。
ー 最後に、TOKYO No.1 SOUL SETとして活動していく中で、大切にしているスタンスはありますか?
川辺:やっぱり、楽しくないとね。楽しいのが一番。しんどいなって思うこともあるけど、どうせそのあと楽しくなるし、頑張るか、という感じです。死ぬ気で頑張るようなことはせずに、死ぬ気でふざけていたいですね。
「自分のそばにある言葉だけを使う」
BIKKE
TOKYO No.1 SOUL SETのヴォーカル/作詞を担い、文学的でシリアスな言葉と独自トーキングラップで、グループの世界観を形づくってきた。斉藤哲也、高野寛とのユニット・Nathalie Wiseのヴォーカルとしても活動。放送作家、ライター、音楽ディレクターとしての顔も持ち、CMナレーションや単行本『FOR SALE』の執筆なども手掛ける。
ー この撮影場所の近くには、昔TOKYO No.1 SOUL SETのレコーディングスタジオがあったそうですね。
BIKKE:そうそう。あっちにあるステーキのファミレスとか、なんか見覚えがあるなと思ったんですよ。懐かしい。多分2000年くらいだから、『9 9/9』を出したあと、『OUTSET』の頃かな。あの頃は、わりと都心のほうにいましたね。
ー 今日はその少し前、BIKKEさんが東京に出てきた頃から聞いていけたらと思っています。
BIKKE:僕は埼玉出身なんですけど、東京の専門学校に通うことになって、わりと頻繁に東京へ通ってたんですよ。夕方から原宿でバイトもしていて、たぶん19歳くらいには、家に帰らなくなりました(笑)。だから、その頃からほぼ東京ですかね。
ー ちなみに専門学校は、何の学校だったんですか?
BIKKE:音響の専門学校です。音楽をやりたかったんですけど、楽器が全然弾けなかったので、じゃあ裏方になろうかなと。PAとかエンジニアとか、そういう方面の学校に通っていました。
ー 原宿でのバイトはどのような?
BIKKE:古着屋です。当時はヴィンテージ古着ブームの黎明期みたいな時期で、バイト先の店長に価値のある古着とか、目利きの仕方をいろいろ教わりました。今ほど情報が整理されていない時代だったので、周辺の古着屋さんにも、価値が分からずに安く値付けされた古着がゴロゴロ転がっていたんですよ。暇さえあればとにかくいろんな古着屋に行って、良いものが安く売ってれば買って、売る、という感じでした。僕自身もすごく知識があったわけではなかったから、良い古着を安く買い叩かれたこともありましたね(笑)。
ー そう考えると、ファッションの方に進む可能性もなくはなかったんですね。
BIKKE:全然ありましたよ。専門学校を卒業して、古着屋のバイトを辞めてからはファッション関係の会社で社員として働いていましたし、SOUL SETだって、最初は趣味みたいな感じで、空いている時間にやっていたくらいのものでした。
ー 趣味的な感じで続けていたところから、徐々に本業になっていくわけですが。
BIKKE:『TRIPLE BARREL』が出たあたりから環境が変わって、今まで音楽でもらったことのないお金が入ってきたんです。そうなると「これ、音楽だけで食えるな」となるわけですよ。でも、僕らが他のバンドやグループと違ったのは、当時からクラブでのライブがメインだったことです。感覚としては、パーティの延長だったんですよ。そこからリリースに伴って取材が入ったり、いろいろなことが始まるんですけど、当時は取材もよく分かっていなかった。やったことがなかったので、かなりふざけたことをしていました。自分たちで酒を持っていって、しこたま飲みながら嘘ばっかり話していましたし(笑)。川辺くんは存在しない土地の名前を出したりして。若いときって、そういうものを茶化したくなるじゃないですか。どうせみんな調べもしないだろうし、知らないだろうし、という気持ちもあったんだと思います。
ー つまり、TOKYO No.1 SOUL SETは、自分たちが思っていた以上に大きくなっていった感覚もあったのでしょうか。
BIKKE:そうですよ。振り返ると、仲間内でパーティをやるために始めたようなものだったんです。普通のバンドやグループだったら、"楽しい"の向こう側に「売れたい」「武道館を目指そう」といった目標が出てくるのかもしれません。でも、僕らにはそういう野心のようなものがまったくなかった。関わる人が増えて、期待されることももちろんありました。ただ、その期待にはまったく応えられなかった(笑)。嫌なことは、平気で「やらない」と言っていましたし。今も、外部にしっかり仕切ってくれる人がいれば乗っかることはできるんですけど、自発的に何かをやるかというと、まったくやらないですね(笑)。
ー 今回のコラボレーションでは、バンドTシャツのようなイメージで作らせていただきました。BIKKEさん自身の服装には、どんな軸がありますか?
BIKKE:とにかく今は、動きやすいことが大事です。あとは、どこでも寝転がれること(笑)。汚れても気にならないものがいいんですよね。
ー 高いものや珍しいものだと、ラフに扱うのもちょっとためらいますもんね。
BIKKE:かといって、高いものや良いものを否定するつもりもまったくなくて。自分もアパレルの仕事をしていたので、当時はいわゆる珍しくて高い服も扱っていましたし、自分自身、そういうものも着ていました。今も変わらずに洋服は好きだし、凝ったデザインのものや、良いファブリックを使っているものも好き。でも、そういうものばかりを着ていると、服を気にして自分の行動が制限されるように感じたんです。お酒をたくさん飲んでいた頃は、高値で買ったコートをどこかに置き忘れたりすることもあって、毎度ショックもデカい。そういうこともあって、普段はどこでもふらっと動ける服がいいなと思うようになりました。
ー ステージに立つときや、演者として振る舞うときと、普段のスタイルは変わりますか?
BIKKE:ほとんど変わらないですね。昔はもっと気負って、ライブのときに着るための洋服とか持ってましたけど。
ー 他にも、服装に関するルールはありますか?
BIKKE:明るい色は好きですね。
ー そう考えると、今日着ていただいたダークトーンの全身は、わりと新鮮だったのでしょうか。
BIKKE:普段はあまりこういう服装はしませんが、我ながら馴染んでいるなと思いました(笑)。
ー BIKKEさんは日々のなかで、何をしている時間が一番幸せですか?
BIKKE:目覚ましをかけなくていい朝が一番好きですね。「今日はかけなくていい日だ」というのが、気分的にも楽なんです。だいたい同じような時間には起きてしまうんですけど、それでも緊張感がないので。もう徹夜もできなくなりましたしね。昔は、なんであんなに大丈夫だったんですかね。お酒を飲まなくなってからは本当に健康的な生活をするようになりました。
ー 先ほどもお酒の話がチラッと出てきましたが、禁酒されているそうですね。
BIKKE:禁酒、という感じではなく、いらなくなった、という感覚のほうが近いですね。
ー それはどうしてですか?
BIKKE:飲まなくなってから、ずっと考えていたんです。自分はどういうときにお酒を飲みたくなるのか、どういうときにお酒の力を借りようとしていたのか。分析というほどではないですけど、振り返ってみると、苦手な場所に行くときや、緊張する人と会うときに飲んでいたんですよね。だったら、まずはそういう場所に行くこと自体をやめていこうと。そうしているうちに、お酒を必要とする場面が少しずつ減っていったんです。
ー なるほど。
BIKKE:あとは、僕は詩を書くんですけど、それについても考え方を変えました。僕は文章を書くことが、実はそんなに得意でも好きでもないんです。だから、書くこと自体がけっこう大変なんですよね。でも、音楽に関わるうえで、僕にできるのはこれしかなかった。楽器が弾けない。歌も上手に歌えるわけではない。ただ、声を出すことはできる。そこでラップやヒップホップに出会って、「歌詞は自分で書くのか」となって、書き出したんです。僕の書く歌詞について、聴いてくれる方から「文学的だ」と言われることもあります。そういう方向性になるまでにはいろいろ試してみたりもしたんですけど、そもそも僕は歌詞を書く、みたいな行為が得意じゃないなと認めることができたんですよ。
ー 得意ではない、というのは?
BIKKE:人から相談されることもあるんです。絵を描いている人とかに「スランプです。どうしたらいいと思いますか」と聞かれることがある。そういうときに、「テーマが違うんじゃないかな」と答えるようにしています。書くことや描くこと自体はできるのかもしれない。でも、筆が進まないのなら、取り組んでいるテーマが合っていないのかもしれない、と。自分もそうで、もっと自分に近いところにある言葉で書けばいいと思うようになりました。これって、あきらめの気持ちでもあるんですけどね。
ー できないことは、できないと認めるというか。
BIKKE:そうです。乗り越えていこうとするのは、やっぱり理想があるからだと思うんです。「こうなりたいな」という理想の状態があって、その状態を目指して努力する。でも、あるときに「俺はこういうふうにはなれないんだ」と気が付く。手の届かない理想を追いかけて、目を背けたくなるから、お酒の力を借りたりしていたんだと思うんです。もうそれはやめようと。もっと自分に近いところで書けばいい、書いていこうと思うようになりました。
ー 自分の奥深くから出てくるものというよりは、もっと手前にある自分らしさというか。
BIKKE:そうですね。考えると、何かと理由をつけたり、なんとかしてちょっと良い感じに仕上げようとしたりしてしまうんです。たとえば、誰かに作詞だけをして渡すのであれば、また別だと思うんです。でも、自分が発する言葉としては、やっぱり自分のすぐそばにある言葉の方が嘘がない。川辺くんにはいつも、「BIKKEは一言多い」と言われます。でも、しょうがないんです。僕はこういう人間なんです。それは歌詞の話だけではないんですよ。こういうインタビューとかだってそう。当たり障りない話をすればいいじゃないか、という考え方もあると思うんです。馬鹿正直にあれこれ包み隠さずに喋る必要はないのかもしれないけれど、遠いところにある言葉を無理に使うより、近いところにある言葉を使う方が、自分には合っていますね。