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  3. EXPANSION NYとJOURNAL STANDARDのダイアログ。
  • 緯度、経度が異なるだけでなく、歴史も言語も異なる。そんな場所で生まれた文化が、ある程度の鮮度を保ったまま東京にデリバリーされる。僕らは日々、当然のようにそれらを享受しているけれど、よくよく考えるとけっこうすごいことだ。

    “KIRK”こと書上洋は、スマホもSNSもなかった1990年代の東京に高純度なニューヨークを持ち込んだ。彼がバイイングした品々が並ぶ新宿のjackpot、渋谷のSAVAGE!は、当時のB-BOYたちにとっては宝の山だったにちがいない。やがて手がけるようになった自身のブランド〈EXPANSION NY〉には、彼の原体験と衝動が余すことなく投影されている。

    そんな同ブランドと〈JOURNAL STANDARD〉の通算3度目のコラボレーションに際し、ニューヨーク在住のKIRKへとインタビュー。懐かしい固有名詞や貴重な写真が飛び出しはするが「あのときは良かったね」なんて、レトロスペクティブなヘッズに媚びることが目的ではない。KIRKのユニークネスとヒップホップマインドは、現在進行形で発展と拡大を続けているのだから。

    Plannnig_Yusuke Takayama(JOURNAL STANDARD)

    Interview&Text_Nobuyuki Shigetake

    自分の軸でモノを
    選べる人に向けて作ってる。

    EXPANSION NY

    2002年、ニューヨークで誕生。ブランド名の由来はレア・グルーヴを代表するロニー・リストン・スミスの名曲 『EXPANSIONS』。常に遊び心やストーリーを感じるデザイン、生地・産地へのこだわりなどさまざま要素を混ぜて独自の世界観を体現する。『mita sneakers』や〈Post Overalls〉〈Engineered Garments〉〈Schott NYC〉〈AVIREX〉〈Sergio Tacchini〉など、コラボレーションワークも多数。

    書上洋(KIRK)

    〈EXPANSION NY〉のデザイナー兼ディレクターを務める。1991年にニューヨークに渡り本場のHIP HOP文化の洗礼を受ける。'90年代中期〜’00年代初期には、伝説的セレクトショップ 新宿のjackpotおよび、渋谷のSAVAGE! のバイヤーを経験、97年にアパレルのディストリビューションカンパニー・Seven Summitsを設立。日本とニューヨークを繋ぐストリートファッションやカルチャーの橋渡し役を担った。現在はニューヨークを拠点に活動。

    KIRKさんは、生まれは東京で、育ちがニューヨークなんですね。

    書上洋(以下、KIRK):生まれたのは江東区の深川ってところで、親の仕事の都合で3歳から7歳までがロサンゼルス。それから10年間は東京で、17歳からはほぼずっとニューヨークですね。

    幼い頃に行ったり来たりだと、言葉とか大変じゃなかったですか?

    KIRK:めっちゃ大変でしたよ。LAにいた最初の数年は英語が喋れなくて、7歳で日本に戻ってきたら日本語を忘れちゃってて、喋れないからいじめられて(笑)。で、10年間日本で過ごしてまたアメリカに戻ったら英語を忘れちゃってて、かなり残念な感じでした。

    10歳から17歳の多感な時期を東京で過ごしているわけですが、どんな子どもでした?

    KIRK:高校くらいからはクラブ ──当時で言うところのディスコに通い詰めていて、月〜金は下北沢で、週末は新宿。それがきっかけでブレイクダンスにハマって、ヒップホップカルチャーにのめり込んでいった、という流れですね。

    jackpot *1のバイヤーをしていたのもその頃ですか?

    KIRK:17歳でNYに行き、その3年後ぐらいからですね。当時僕はアメリカの大学に通っていて、夏休みに日本に戻って歌舞伎町でティッシュ配りのバイトをしていたんです。そのときに知り合った友人が「このすぐそばに面白いお店があるよ」と教えてくれて、それがjackpotでした。しかもオーナーが偶然にも高校の頃の同級生だったんですよ。バイトのたびに遊びに行ってるうちに入り浸るようになっちゃって、そのうちティッシュ配りも面倒になってjackpotのバックヤードに箱ごと置いていくようになって(笑)。

    *1 1994年にオープンしたインポートアイテム中心のセレクトショップ。歌舞伎町を目の前にした雑居ビルの7階に構える、要アポイントの実店舗は新宿の隠れスポット的存在。1990年代ニューヨークのHIPHOPカルチャーのMIX感を根底に持ちつつ柔軟な感性でストリートブランドからハイエンドなメゾンまでを共存させた現代スタイルを提案する。

    「当時オーナーをしていた小川くんと。彼の当時のディレクションが現在の〈EXPANSION NY〉にも反映されているし、今こうやってブランドとして継続できているのも彼のおかげです」

    「今はビルの7階ですが、当時のjackpotは路面店で、ニューヨークで買い付けた衣料と雑貨で溢れかえってました。入荷日にはいつもお店の前に行列ができていたのをよく覚えています」

    あはは。悪ガキだったんですね。

    KIRK:そんな感じで仲良くしていたら、その彼、小川くんって言うんですけど、彼から「今度ニューヨークに買い付けに行くから手伝ってよ」って頼まれて、小川くんがニューヨークに来たときに日本への発送とかをサポートしていたんですよね。そうしているうちに「現地で新しいブランド探してくれない?」って話になり、だんだんとバイヤーっぽいことをやり始めたって感じです。

    当時って今みたいに、たくさんブランドがあったわけではないですよね?

    KIRK:そうなんですよ。探すとなると難しくて、だから勝手に……勝手にって言うとアレですけど(笑)、僕目線で面白いことをやってるなと感じたグラフィティライターやアーティストと知り合ったら「この作品をTシャツにしない?」と声をかけて、版代とかお金も先に渡してブランドとしてデビューさせて、それを日本に持ってくる、みたいなことをやってました。jackpotにはよくスタイリストも出入りしていたから、そうやって僕が日本に持ってきたブランドを面白がって雑誌で紹介してくれて、それだけで一気に売れる、みたいな時代でしたね。当時って今みたいにインターネットが発達してなくて、僕らにとってのファッションの情報源と言ったら『COOL TRANS』や『Boon』などの雑誌だけだったんですよ。

    すべては歌舞伎町で小川さんと偶然に出会ってしまったことがきっかけだったんですね。

    KIRK:ほんと、そうですね。おかげさまで大学も辞めましたからね(笑)。でも、動く金額がどんどん大きくなっていって、責任も大きくなって、大学に行ってる場合じゃないなって思っちゃったんですよね。とにかく、やればやるだけ売れるってことが当時のモチベーションのひとつでした。

    「1995年のサンディエゴの『BLACK MAGIC』トレードショーで、〈ELEMENTS OF STYLE〉のディストリビューター・メンバーとして出展した時の写真。90年代当時、日本のラッパーやDJはみんな〈ELEMENTS OF STYLE〉を1着は持っていたんじゃないかな? あれほど定番になるとは思わなかった。のちに〈EXPANSION NY〉の20周年を記念してコラボレーションアイテムも作りました。偽物も出回っていますので気をつけてください」

    90年代後半当時の東京っていうと、もろに裏原ムーブメントの頃ですよね。

    KIRK:jackpotは新宿でしたし、遊んでいたのは渋谷だったので、僕自身は原宿の流れは少し離れたところから見ていたんですよね。渋谷の方がもっとカルチャーっぽいというか、直接的に音楽と結びついていた印象でした。1999年から2002年までの3年間は、MUROくんがオーナーをしていたお店にもバイヤーとして関わらせてもらったりもしていて。

    SAVAGE! *2ですよね。経緯が気になります。

    KIRK:日本からアメリカに来たバイヤーが必ず回るコースみたいなのがあって、各地方にあるアウトレットやアバクロなどが代表格でした。アバクロって日本のインポート好きからは当時人気があって……アバクロって分かります?

    *2 DJ/プロデューサーのMUROがオーナーをしていたショップ。1996年オープン、渋谷・宇田川町の雑居ビルの2階に店を構えていた。当時のB-BOYにとっては言わずと知れた伝説的なショップ。日本語ラップシーン黎明期からシーンを牽引し、ショップスタッフから後に多くの著名ラッパー・DJを輩出した。2008年の夏にビルの解体に伴い、惜しまれながらクローズ。

    〈Abercrombie & Fitch〉ですね。

    KIRK:そうです。jackpotの買い付けでサウス・ストリート・シーポートのアバクロに行くたびにMUROくんと遭遇していて、その頃のMUROくんは多分時期的にStill Diggin’ *3の買い付けをしていた頃だと思うんですけど。

    *3 日本のヒップホップ・シーンを30年以上にわたり支え続けてきた、ベテランB-BOYショップ。渋谷宇田川町での創業当時から、MUROのディレクションのもと、日本のヒップホップ文化の発展に大きく貢献してきた。そして現在は原宿に拠点を移し、DJ Viblamのディレクションのもと、新たな展開を見せている。

    MUROさんであることは認識されていたんですか?

    KIRK:いえ、日本のバイヤーさんとは認識していましたが、当時の僕はjackpotのバイヤーなので、Still Diggin'もrealmadHECTICもSEXPERIENCEもFIVESTARも完全に敵視してましたね(笑)。当時はXL、XXL、3XLがバカ売れしていた時代なので、先に買い付けされると困っちゃうんですよ。なので、日本人バイヤーを見かけるとショップ内でサイズの取り合いでした(笑)。

    尖りもあったんですね。

    KIRK:で、僕その当時、ニューヨークのアップタウンにあった、セレクトショップのSLAAMでもたまに働いていたんですけど、あるときにそこのオーナーに「たまにジャパニーズラッパーがお店に来るよ」と言われて、どんな人なのか詳しく聞いたら、アバクロで会ったあの日本人だ! ってなったんですよ。MICROPHONE PAGERもそのときに初めて知って、曲を聴いたら「なにこれ、めっちゃかっこいいじゃん」ってアガっちゃって。少し経って、またMUROくんと出くわすことがあったから、そのときに初めてちゃんと挨拶をさせてもらったんです。

    「SLAAMの面々と。右上がオーナー兼バイヤーのギリアン・ハリス。写真家のジョナサン・マニオンがまだ無名だった頃に撮影した雑誌用の写真です」

    すぐに意気投合して。

    KIRK:あ、いえ、僕もカッコつけていたので、すぐではなくて(笑)。仲良くなったのはそれから何回かまた買い付けで偶然会って、お互いに「いいかげん、なんだこれ?」ってなってからですね。SAVAGE!を手伝うようになったのはMUROくんから直で依頼されたわけではなく、BUDDHA BRANDのコンちゃん(DEV LARGE)がつないでくれたんです。コンちゃんとは仲が良かったんですけど、彼から「MUROが独立してお店はじめるから、お前ちょっと手伝え。俺も一緒にやるから」って言われて「はい、分かりました」みたいな(笑)。

    「DEV LARGEとavexの事務所で。1996年頃の写真です。写っていませんが、奥にSHAKKAZOMBIEのOsumiくんとHideくんがいらしたので『大怪我』の打ち合わせをしていたと思われます」

    さっきから登場人物がすごいですね(笑)。もちろん、二つ返事で?

    KIRK:二つ返事でしたね。せっかくMUROくんもDEV LARGEも誘ってくれていたから、ぜひ働かせてもらいたいって感じで。SAVAGE!の買い付けはすごく印象深くて、僕が買い付けるものは、基本的に全部一点モノだけに統一させてもらってたんですよね。

    へぇー、それはすごいですね。

    KIRK:当時は僕以外にもMUROくんを筆頭に、MUROくんの妹さんのLil'MUROも、NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのGORE-TEX、S-WORD、K.O.D.P *4のGORIKIもニューヨークに買い付けに来ていて、みんなだいたい同じエリアを周るのに、全然違うものを買って帰ってくるんですよ。なので、バイヤーによって商品の売れるスピードにもちがいがあって、面白かったですね。

    *4 MUROが率いるクルー「KING OF DIGGIN’ PRODUCTION」の略称。メンバーは背番号ともいえるナンバーが付与されており、その全員がMCというわけではなく、トラックメイカーやSAVAGE!の店員も含まれている。

    興味深いです。

    KIRK:各々センスもちがうから、売れ方にもちがいがあったんでしょうね。

    「おそらく1998〜99年頃の、仙台でMUROくんのDJ営業時に撮影した写真です」

    KIRKさんが“面白い”と思うものって、どんなものなんですか?

    KIRK:あんまり分かりやすいものは好きじゃなくて、主観だし、感覚的な物言いにはなっちゃうんですけど、持ってる人、着てる人の個性を引き出すためのスパイスになるかもなってモノはよく買ってました。そもそもファッションとか洋服の面白さって、そのモノ自体というよりは、手に取った人、着る人のセンスによって見え方がいくらでも変わる点だと思うんですよ。

    流行り物を的確に取り入れるとか、完璧なサイジングで洋服を着るだけが“ファッション”ではないというか。

    KIRK:そうですね。僕らって、若い頃にクラスとかコミュニティにひとりはいた「ちょっと変わったファッションをしてるやつ」に刺さるように洋服を作ったり、買い付けたりしていたんだなって思うんです。いわゆる「おしゃれ」とかではないんだけど、他のやつらはみんな同じような格好してるなかで「なんか周りとちがうけどかっこいいな」みたいな。そういうやつ、いましたよね?

    「SAVAGE!の跡地で16年ぶりに。渋谷はかなり変わりましたけど、MUROくんのやさしさは当時と変わりません」

    「もうやめよう」ってときに、
    〈EXPANSION NY〉を着たギャルが
    目の前に現れる。

    KIRKさんのブランドのお話に移っていきたいのですが、〈EXPANSION NY〉を立ち上げたのが2002年のことです。率直に、なぜ、作る側に回ろうと思ったのかが気になりました。

    KIRK:ブランドのディストリビューションとかをしているうちに「これ、自分でもできるんじゃねーの?」って思ったんですよね(笑)。

    けっこう、ライトな動機なんですね。

    KIRK:そうですね。かなり軽い感じでした。ただ、東京ではドメスティックの勢いが強くなっていたこともあって、僕のブランドはインポート扱いだから、最初のうちは全然ダメでしたね(笑)。世に伝える手段は相変わらず雑誌しかなかったし、流行が変わって編集の人たちはヒップホップじゃなくてロックやパンクに夢中になっていて、全然話を聞いてくれなくなったし(笑)。聞いてくれても「へぇ、なんかよく分からないね」みたいな感じで。

    当時の東京の空気感とはあまりマッチしていなかった。

    KIRK:全然マッチしてなかったですね(笑)。でも、たまたま恵比寿系の人たち──〈AG〉とか〈SWAGGER〉〈Devilock〉〈GARNI〉〈MACK DADDY〉〈MOB STYLE〉〈BOOTLEG BOOTH〉とか、あの辺のブランドの人たちとありがたいことに繋がることができて、遊んでもらっていたところに『Samurai magazine』の編集長もいたりして。だんだんと知り合いも増えて、視界がひらけていった感じです。

    そのころを振り返ってみて、今と一番大きく変わった点で言うと?

    KIRK:モノづくりの姿勢や技術は、やっぱりずいぶんと変わったなと思います。なにせ〈Hanes〉の『BEEFY T』にグラフィックをプリントした4型のTシャツからスタートしてますからね(笑)。それだけを持って編集長に「俺ブランドやってんすよ。カッコよくないすか?」ってナメたこと言っても、そりゃ響かねーよなって話です。そこから自分でミシンを勉強して、パターンの修正や縫製も学んで、イラレも使えるようになって自分でグラフィックデザインもして………モノづくりはある程度コントロールできる部分が増えましたけど、着ているだけで胸が張れるというか「俺、ほかのやつとは違うぜ」みたいな、そんな想いになってくれるような洋服を作りたい気持ちは、立ち上げ当初から変わっていないです。

    「シャツ工場でサンプルを作っています。サンプルの段階から縫い子さんたちと二人三脚です」

    〈JOURNAL STANDARD〉とのコラボレーションについてもお聞きしたくて、今回は〈EXPANSION NY〉でも定番的なグラフィックをプリントさせてもらった感じで。

    KIRK:『YEW NORK』とかはもう15〜6年くらいやっていますね。

    面白いなって思いました。すれ違ったときに「ん?」みたいな。

    KIRK:そうそう! ニューヨークでこれ着て歩いていると、絶対に声かけれられるんですよ。「え? なんだよ、NEW YORKじゃないのかよ!」って。

    True Wine ConnoisseursはプロデューサーのWill Tellと、ラッパーのSadat Xによる黒人とスペイン系アメリカ人経営の世界初のワイン会社。デザインはニューヨークを代表するストリートアーティスト・Todd Jamesによるもの。

    どこかヒップホップマインドを感じます。

    KIRK:サンプリングは、ある種の日本人的なファッション文化なんじゃないですかね。裏の面白さというか、表側で全部見せないみたいな考え方ってすごく粋だし、日本人っぽい美徳だと思うんですよね。

    いわゆるゼロイチ的な、パターンや縫製もする洋服作りはどのようなマインドで?

    KIRK:欲しい回答ではないかもしれないですけど、生地ありきで考えることが多いですね。今季だったら、ベトナムの生地屋さんがいっぱいあるエリアに行って、トータル100件くらい、ずっと歩いて生地探して、ホテルに戻ったら集めた切れ端をバーって並べて、こんな空気にしようとか、こんなものを作ろうとか、その生地を一番活かせるようなものをその都度で考える感じですね。

    「生地屋さん。このなかから生地から選びます。膨大な数に見えますが、まだまだ氷山の一角です」

    それもまたヒップホップ的ですよね。手元にある素材を最大限に活かして調理している感じが。

    KIRK:そうかもしれないですね。そういう意味では、僕は根本的には考え方がファッションデザイナーではないんです(笑)。こういうものを作りたいとか、こうやって自己表現したいとか、そんなものは自分にはありませんから。ただ、着てくれる人の自己表現やカッコつけのお手伝いがしたいってだけで。

    バイヤー的な考え方でもあると思います。

    KIRK:そうですね。jackpotやSAVAGE!のときに培ったものの派生でここまでやってきているようなもんですからね。ストリートもスポーツもアウトドアも、なんでもやってましたから。売れるけど面白くないものと、売れないけど面白いものと、とにかく量を見て、選んできた自負はあります。

    「工場の風景。ここから〈EXPANSION NY〉の洋服が生まれます。シャツはシャツ工場、ジャケットはジャケットと得意とする工場、というように適材適所なところにお願いしています」

    ところで、ニューヨークでブランドをやるのってすごく大変そうだなと思っていて。人件費とか工賃とか、今はすごく高くなってるわけじゃないですか。

    KIRK:もちろんすごく大変で、日々、戦いですね。ただ、僕はとにかく現場主義なので、お願いしている工場だったり業者さんには必ず足を運ぶようにしています。米国内でも、中国でもベトナムでも。どこにお願いするのかも、すごく慎重に決めています。依頼主の僕がちゃんと顔を見せることもすごく大切だと思っていて、定期的にケーキとかピザとか持って「いつもお世話になってます、いつもありがとうございます」って挨拶に行ってます(笑)。

    すごいことですね。自分だけでなく、生地屋や工場と一緒にモノづくりをしている感覚が強いってことですよね。

    KIRK:そうです。そもそも〈EXPANSION NY〉は僕ひとりだったら絶対に成立してないですから。周りの人たちがいるおかげで成り立っているんです。工場の人たちだってそうだし、卸先やセールス、代理店だってそう。今こうやってインタビューしてくれて、世に広げようとしてくれていることだって、ブランドを成立させる上でとても大事なことだし、本当にありがたいですよ。

    そんなこんなでブランド立ち上げからもう22年になりますね。

    KIRK:シーズンごとにやっている展示会のたびに「もう今回で終わりにしよう」って思ってますし、実際に弱音も吐いてます(笑)。本当に大変ですよ。うまくいかないこともたくさんあるし、萎えることもたくさんありますから。それでも、日本に帰ってきて「もうやめちゃお〜」なんて考えながら井の頭線に乗っていたら、近くに立ってるギャルが〈EXPANSION NY〉のTシャツを着てたりするんですよ。やっぱり、そういうのって本当に嬉しくて。ちゃんと届いてんだなって。びっくりしてガン見しちゃったから、そのギャルは「何見てんの? このおっさん」って表情してるんですけど(笑)。小さいことかもしれないけど、そういう偶然に出会うたびにまだ続けよう、まだまだ成長しようって思えるんですよね。

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