イニシエーション(通過儀礼)としてのレザージャケット。
だいぶ慣れてきましたので、レザーっぽいテンションでコラムを書いてみます。
一張羅、という響きを耳にして、何を思い浮かべるだろう? じいちゃんと同い年くらいのヴィンテージ・デニム? 若くして他界したロック・スターの在りし日の姿がプリントされたバンドTシャツ? 世界的なラッパーとのコラボレーションでプレ値を更新し続けるバスケット・シューズ?
なんだっていい。一張羅を身に纏うという行為は、モノ自体に宿ったエネルギーを借りるのと同義である。価格やレアリティに左右されるものではない。自分自身で価値を見出し、着ることによって背中を押してくれる洋服。それこそが、僕たちにとっての一張羅だ。
冒頭では近年、価格が上昇傾向にあるヴィンテージやヒップなコラボモノを羅列したが、プロダクト自体にエネルギーが宿っているなと感じられるのはやはりレザーアイテムである。それもサラピンの、「もっとも生き物に近い」状態のレザージャケットは、身に纏うだけで、大自然の息吹や過酷な食物連鎖を追体験できるだけでなく、命の尊さを学ぶことだってできる。
大枚をはたいて一生モノのレザージャケットを買ったやつなんかが身近にいたら、「男を上げたね」と賞賛の一言をかけずにいられなくなるのもまた、男のサガと言えるだろう。「ようやくこっち側に来たんだね」と。そういった意味で、男がレザーを身に纏うのは、ある種のイニシエーションなのかもしれない。“男の子”が“男”になるための通過儀礼。どうせ着るのなら、妙な自己主張をしていない、長く愛せそうなシンプルなルックスで、買った直後から長年を共にしたかのように身体に馴染む、デイリーウエアとしての側面も併せ持った1着を選び取りたい。
それがもしあなたにとっての記念すべきファースト・レザーなら、このあたりがちょうど良さそう。
リアルレザーのわりに、こなれた値段も魅力的だ。
誰が着ていただとか、市場で高値がついているだとか、洋服の価値ってそれだけじゃない。その洋服と重ねた経験や時間が、気兼ねのないデイリーウエアを一張羅に育ててくれる。
というわけで、僕も今年こそはレザージャケットを買ってみることにします。