カルティエのトリニティリングにまつわるあれこれ
Cartier Trinity ring
こんにちはWORLDLY-WISE安藤です。
今回は僭越ながらカルティエのトリニティリングについて。
「トリニティリング」
その魅力は見て触るだけで十分に伝わる。
研ぎ澄まされた無駄のない造形美が心にストンと届くのだ。
なのであえて説明を足す必要が無いと言えば無いと思うのだが、
Cartier自身がアウトプットしている文が底抜けに素晴らしいので抜粋させて頂く。
・シンプルなリングが生み出すフォルムの美しさをジュエラーとしてどのように引き出すのか、というブランドビジョンを反映。
・ピュアなラインを描き完璧なプロポーションをつくり出す3本のリングは、互いの可動性を残しながら絡まり合い、3色に彩られる。
・ジュエリーと彫刻、フェミニンとマスキュリン、遊びと象徴の境界線に位置するアイコンリング。
このたった3つの短くも完璧な文を知るだけで作り手の精神的な部分も含めて隅々まで楽しめるはずで、恐らくこれ以上の情報は要らない。なので次項からは蛇足として聞いて頂きたい。
「ロマンチックな推測」
トリニティリングを深く知ろうとした場合、詩人ジャンコクトーとの関わりを避ける事は難しい。
デザインされてから約100年、ゲイリークーパーやダイアナ妃はじめ名立たる面々に愛されたリングだが、そんな愛用者のなかでもとりわけ彼が目立つ。その理由はある有名な推測にある。
それは、「トリニティリングはジャンコクトーがデザインした」という内容だ。
そりゃあもちろん、
20世紀フランスの芸術文化にあらゆる角度から偉大な足跡を残したあの天才芸術家ジャンコクトーと、キングオブジュエラー・カルティエのクロスオーバー的なリング、なんて推測がもし事実であれば、垂涎も垂涎で床びちょびちょである。
だが、実際のところこの推測は、日本の1部のファンの中だけでささやかれている不確かなものであって、カルティエサイドはもちろんそのような公表はしていないし、フランス本土でこの類の話しが盛り上がっているなんて事も無い。
つまり、決して推測の域は出ない。
しかしながら僕は、このロマンティックな推測が好きでたまらないし、このタイプの話しが一人歩きしていく環境と独自文化を持つ日本を誇りに思う。
なんせこの推測は、事実をベースに可能性のある範囲内で、トリニティリングの魅力が最大化されるように脳内で膨らまされたファンタジーなのだ。
「推測の推測」
上記のように、“ジャンコクトーがトリニティーを…”という推測は、いくつかの事実をベースとして最大限魅力的に推理されたストーリーだ。
ベースとなっている主な事実は、おそらくこれらだ。
・コクトーはトリニティリングを生涯愛用していた。
・コクトーは当時の恋人であったラディゲを、詩人としての才覚も含めてしこたま愛していた。
・ラディゲがこの世を去ったのは1923。
・ルイカルティエがトリニティリングを発表したのは1924。
・ラディゲの死は、コクトーを阿片に溺れさせるほど悲観に暮れさせた。
・若い頃のコクトーは小指にトリニティリングを1つ、晩年は2つ重ね付けのスタイルに変化する。
これらは紛れもない事実である。
そして、これらをもとに膨らんだ推測は、おそらくこうだ。
コクトーは、当時最愛の人物であった詩人ラディゲに贈る為に、これまでに見た事もないような美しい指輪をデザインし、カルティエに生産を依頼した。しかし1923年、ラディゲは若くしてこの世を去ってしまい、彼は指輪を贈る事が出来なかった。その指輪が発表されたのは1年後の1924年。もう贈る事は出来なくなってしまったが、それでもコクトーはラディゲを想い、その指輪を生涯身に付けた。その思いは薄れる事無く。やがて彼は、自分の分とラディゲに贈れなかった分の2つを、重ねあわせるように小指に。心の中で生涯を共にした。その指輪は、トリニティリングと名付けられ、世紀を超え愛され続ける。
何度も言うが、推測の域は出ない。おそらく。
ちなみに蛇足の中の蛇足なのでほぼ無視してもらいたいのだが、彼らの人物相関図の豪華さたるや。
例えば、ラディゲの葬儀費を工面したりコクトーを阿片地獄から救うべく療養所に入れたりなどと世話を焼いたのは彼と親交の深かったココ・シャネルだったり、ラディゲを敬愛する三島由紀夫が2人のストーリーを書いた本を出版していたり…。なんてのはまた別の話。
最後まで読んでいただきありがとうございました。