1. HOME
  2. ブログ
  3. 1800年代のビーズ

1800年代のビーズ

antique trade beads / Venetian beads / African beads

  • WORLDLY-WISE

    AFRICAN FRENCH CLOSS BEADS NECKLACE (S) / アフリカン・フレンチクロス・ネックレス

    ¥27,500

  • 1800年代のトレードビーズ

    「提案内容とヴェネチアの発音」
    今回はWORLDLY-WISE安藤より、アンティークビーズのネックレスをご提案させて頂きたい。1800年代にヴェネチアで交易品として作り出され、金/象牙/奴隷などとのトレードによりアフリカへと渡ったアンティークのトレードビーズを、ラフィアコードで繋いでネックレスにした製品だ。
    それと、生産地の発音について。苦渋の決断ではあったが、今回は間をとってヴェネチアで統一することにした。なぜなら、鼻筋も通ってないし英語もしゃべれないのにヴェネツィアと下唇を噛むのはなんだか気が引けるし、自己顕示欲なのかなんなのか解らないがベネチアだと心が満たされなかったからだ。

  • 「ビーズのルーツ」
    ビーズは、最古で約10万年前の物が発見されている。われわれホモサピエンスの文明初期の物であり、ここ関東がまだ海の底だった頃の話だ。それらは、イスラエルやアルジェリアの遺跡から出土した貝殻のビーズであり、人類の装飾品の起源であることは疑いようも無い。そして、エジプト/インダス/イスラム等の古代文明を経て、多様な素材/デザインのビーズが生み出され、それはやがて中世へと受け継がれていく。今回の提案内容は、その頃にヴェネチアで作り出されたガラス製のそれだ。

  • WORLDLY-WISE

    AFRICAN MELON BEADS NECKLACE / アフリカン・メロンビーズ・ネックレス

    ¥24,200

  • 「そしてヴェネチアへ」
    中世では、イスラムからヴェネチアへとガラス製法が伝わっていく。ヴェネチアは東西交易の中継点であったため、技術をいち早く手に入れる事が出来たのだ。その頃のヴェネチアといえば弱体期。東洋との独占貿易は崩壊し、ボヘミアグラスにヨーロッパ市場は独占され、貿易経済に大きな打撃を受けていた。それらの対策として、新しく得たガラス製法の技術をもってガラスビーズ等を作り出し、アフリカとトレードを始めた。まさにこれこそ、今回の提案物だ。

  • WORLDLY-WISE

    AFRICAN MELON BEADS NECKLACE / アフリカン・メロンビーズ・ネックレス

    ¥24,200

  • 「技術は孤島で最高峰へと」
    時のヴェネチア為政者たちは、新たに得たガラス製法技術の流出を防ぎ独占したかったので、ガラス職人達を外部との接触から遠ざける目的で、ムラーノ島へと隔離する。そしてそれが結果的に世界最高峰の技術を手に入れる要因となる。
    どういうことかというと、狭い島に職人がギュッと集められたもんだから切磋琢磨に拍車がかかって技術は急発展し、クオリティーと芸術性はいっきに高度化、その技術は世界最高峰となったのだ。ドッジ弾平も言っていたが、やはり持つべきものは好敵手(とも)ということだ。
    そして、世界最高峰の技術をもつガラス職人達によって作り出されたヴェネチア製のビーズは、世界を相手にしたトレード品へとステージアップし、商人たちによってアフリカへと運ばれていった。

  • 「交易品としてのビーズの価値」
    アンティークのトレードビーズは、その名の通り国を超えた交易に使われた歴史を持つため、アフリカを中心に広い地域で発見され、現代では骨董品としてコレクターたちの間で取引の対象となっている。
    かつてビーズとトレードされた物として代表的なのは、シルクロード周り(割愛)や、北欧バイキングの毛皮/琥珀、アフリカの金/象牙/奴隷、など。時代毎の高級品貿易に強く影響を及ぼしていた事は明らかで、改めて書く事ではないかもしれないがそれはつまり、「1800年代におけるヴェネチア製ガラスビーズは、毛皮や金、時には人間とも同等の価値を持っていた」という事だ。
    その、時には悲しくも深い歴史を理解すると、ビーズがアフリカで地位の高さを表す装飾品として(時には王族にのみ許された装飾品として)、先祖代々受け継がれた家宝であったという事実も、決して大袈裟では無い。そしてそのおかげで、ガラスという儚く脆い素材ながら100年以上の時を超え現存してくれていて、現代で僕たちがファッションとして楽しむ事ができている、という流れだ。大切に扱ってくれてありがとう。

  • WORLDLY-WISE

    AFRICAN AJA BEADS NECKLACE (S) / アフリカン・エジャ・ビーズネックレス

    ¥22,000

  • 「ムラーノのビーズとガラスのエイジング」
    芯に銅線を用いて粘土の離型材は使用しない、というのがムラーノ島ならではのビーズ製法だ。そのため、銅線を抜いた後の穴は涼しげに透き通り、それが、ガラスならではの美しい透明感をさらに煽る。しかし、近年では塩酸の使用規制が厳しくなったことから剥離剤を使うケースが増えてきてしまっている。つまり、この製法と涼しげな透明感は、失われゆく技術という事だ。そして、言わずもがな高純度なハンドメイド製法の為、1粒として同じビーズは存在しない。ずらっと連ねたビーズは11粒全て、色味//デザインが異なり、その影響で独特な立体感/奥行きが生じる。
    そんな風にして作られてきたビーズだが、忘れて欲しくないのは100年以上も前のガラス製品だという事。もともとの鮮やかさ/透明感に加えて、傷/摩耗/退色などのエイジングが深く重なった結果として、吸い込まれんばかりの渋みが備わり、それはもうめちゃくちゃ芸術的に仕上がっている。そしてこれは、他のアンティーク品同様に、「決して人工的には再現できないエイジング」であり、ガラス製品においてのそれを楽しんだことのある方はさほど多く無いように思う。

  • 「ジャパニーズとビーズ」
    日本でもビーズは古くから身近。縄文時代から作られている勾玉ビーズに始まり、弥生時代中期にそれらはガラス製となり、デザイン/素材を変えながら装飾品や護符として作り出されていた歴史を持つ。その裏付けとして古墳時代の遺跡からも、それらが多数発掘されている。
    ヴェネチア製ビーズ最盛期とも言える1800年代は、日本は鎖国~開国の時。黒船が世間を騒がせていた頃だろう。そこからそう遠くない1900年代初頭、海外文化が街に溢れだした大正初期の日本で、ヴェネチア製ビーズも多文化同様に周知され、日本初のビーズ手芸本(1926)が発刊されるなど、開国後すぐにファッションとして注目されていた事が分かる。その後戦争が始まった事でその文化は足止めされてしまうが、戦後から今日に至るまで文化として根付き、WORLDLY-WISEでアンティーク品をご提案できるまでとなった。ちなみに日本初のビーズ本の著者は安藤さん。同じ名で嬉しい(どうでもいい)

  • 「最後に」
    主観で、アンティークトレードビーズには歴史的価値に魅力を感じるので、軸が偏ったご提案となってしまった気がする。いや、このブログを無視したとしても、そもそもアンティークトレードビーズは、決してフラットな印象では無いように思う。もちろんデザイン云々の話では無くて。
    背景がしっかりと重たい骨董品を、ファッションとして提案しているのだから当然っちゃ当然ではあるのだが。
    しかし、もしその印象の偏りに目がくらみ、心を鎖国してしまっている方が仮にいたとしたら、そんな貴方にはペリーを贈りたい。開かずとも攻撃はしないが。そして、最後にこのブログの締めくくりとして、こっそりと一度だけ下唇を噛んでみようと思うので見逃してほしい。ヴェネツィア。

    最後まで読んで頂き心からありがとうございます。